福島第一原発事故 10年目で出て来た新事実 「フクシマ・フィフティー」のアナザーストーリー 第6回(インタビュアー│奥山俊宏、久田将義)

安全神話が崩れた瞬間。

実は第一次被害で犠牲者が出てもおかしくなかった。「3号機爆発は、命拾ったなですよ。瓦礫が当たっていたらダメだった」(福島第一原発作業員)

 

■14日、3号機爆発に隣の建屋で遭遇

3月12日夜から13日朝にかけて、1号機に続いて3号機の原子炉が冷却不能に陥った。12日昼までは、3号機は全電源喪失を免れて直流電源や緊急炉心冷却装置(ECCS)が機能したが、12日夜にバッテリー切れになったらしく、炉内の監視や制御が難しくなった。13日未明には注水が止まり、圧力が高まり、水位も下がっていった。13日朝には炉内の燃料が空気中に露出し、溶融を始めた、とみられた。1号機と同様に3号機も水素爆発を起こすのではないかと心配された。
以下の彼の話で「13日」と述べられているのは誤りで、正しくは14日のことであると思われる。

奥山:13日はそのあとどうされたんですか?

マサ:13日は9時か10時に「戻っていいです」と言われて、みんなのところに戻って、すぐ「じゃ、次の仕事」っていう話で東電さんから話がきて。今度は2号機のタービン建屋の壁に穴をあけて、電源車からケーブルを通して、で、その通したケーブルを、パワーセンターっていう電源なんですけど、そこにつないでくれっていう仕事がきて。その仕事ともうひとつ、その奥のほうにいったところの、MCCっていうもうひとつちっちゃい電源の健全性を確認してくれっていう、ふたつの仕事がきて。それをチームを組んで、10人ぐらいいたかなぁ、そのくらいの人数で車3台に乗って。で、その2号のその時点では大物搬入口があいちゃってるんで、普通のアクセスじゃなくて大物搬入口から中に入っていって。

奥山:タービン建屋の中に。

マサ:はい、中に入っていって。

【発電所内には大小さまざまな機器があり、それらを機能させる電気も高低3種類あった。6900ボルトの高電圧、480ボルトの低電圧、そして、一般家庭の電気コンセントと同じ100ボルト。1、2号機には、6900ボルトの高圧電源盤(M/C、Metal-Clad Switch Gear)が12台あったが、2号機の7台はすべて水没し、1号機の5台も水をかぶり、いずれも使用不能になった。480ボルトの低圧電源盤などをコンパクトに収納したパワーセンター(P/C)も12台あり、このうち8台は津波で使用不能になったが、2号機タービン建屋1階にあった4台(P/C 2A、P/C 2B、P/C 2C、P/C 2D)はベース部に水をかぶっただけで、「給電元のM/Cが使用不可のため受電不可」ではあるものの何とか使えそうな状況だった。MCC(Motor Control Center)は小容量の100ボルトの所内低電圧回路に使用する電源盤を指す。

福島第一原発の対策本部は、使用可能な2号機の低圧電源盤(P/C)と外部から来援した電源車を用いて、原子炉への高圧注水が可能なほう酸水注入系などの電源を復旧しようと考えた。電源車からケーブルを敷いて、2号機の低圧電源盤につなぎ込む作業が進め、12日午後3時半ごろ、準備が完了した。ところが、1号機の原子炉建屋が爆発し、敷設したケーブルが損傷し、低圧電源盤(P/C 2C)の受電が停止してしまった。彼は14日、その復旧に携わった。】

マサ:ぼくの担当は、外からつないでるやつを中につないでくれっていう仕事で。だから午後一、お昼として、午前中の遅い時間からやり始めて。で、もうひと班の健全性確認のほうと一緒に仕事をして、終わったら戻りましょうっていう話になってて。で、そのときに終わり際に、今度3号の爆発にあたって。仕事は終わってるんですよ。

奥山:3号の爆発は14日の午前11時。

マサ:13日に解放されて、3号(の爆発)は14日でしたっけ?

奥山:14日の昼前。

マサ:じゃあそうすると、半日だけ記憶があれしてるかもしれないですね。でも、逆からいくと、3号の爆発の前にその仕事をやってた。

奥山:14日の午前なんですけど、そのときは2号のタービンの建屋の中で、パワーセンターにケーブルを引く作業を。

マサ:つなぐ作業ですね。

奥山:もともと、ケーブルは12日にずっと作業をやってて、穴あけて通したところで1号の爆発があって、それが壊れたっていう話になってるみたいなんですけど、それを直す作業を?

マサ:そうです。たしかに、ダメな部分を切って、つないでるのが日立か東芝のメーカーがやってて。つないだものを、さらにつなぐのがうちの仕事なんです。

奥山:最終的にパワーセンターにつなぐ作業?

マサ:それはうち。そこのケーブルのジョイントをするのは、たしかメーカーさんの仕事です。

奥山:パワーセンターそのものは、2号機のタービン建屋に生き残ってるものがあったわけですよね?

マサ:そうです。

奥山:MCCも生き残ってたんですか?

マサ:MCCはたくさん群(ぐん)があるんで、その中のリアクター(原子炉)の……わかんないですけど、注水系のバルブをあけたいために、そのバルブの電源がMCCにあるんで、その健全性を確認して、よければ入れてあけたいっていう、たぶんそういう状況だったと思うんですけど。その電源の健全性の確認。

奥山:それは2号の?

マサ:それは2号です。

奥山:それをやってる途中で……。

マサ:やって、こっちも終わって、ぼくらも終わって、「じゃあみんなで出ようか」っていうところでドーンと3号が爆発したんで。で、みんなでまたタービン(建屋)の奥に戻って。

奥山:(タービン建屋を)出る前に爆発したわけですか?

マサ:出る前でよかった。ホントに出る前でした。

奥山:隣ですもんねぇ。

マサ:ぼくなんかのほうがちょっと早く終わったんで、ホントは出ようと思ったんだけど、出たほうが線量が高いんで。中にいたほうが線量が低いんですよ。だから待ってたんですよね。こっちが来るのを。そのタイミング外してたら、たぶんガレキに当たってたと思うんで。

奥山:2号のタービン建屋の天井とかに(ガレキが)突き刺さったようになってますもんね。

マサ:そうですね。2号があって、3号があって、ここが大きい道路で隔たれてるだけなんで、何もないです。ぼくらはここから車でこういうふうに来て、2号のほうで作業して、車に乗ってこれを通って、この3号とのあいだを通って帰ろうとしてたんで。

奥山:そのとき音はどうでした?

マサ:3号のほうが建物の構造上、大きいんで。あと壁厚とかも厚いんで、3号はホントに、もうほんとに、聞いたことがないというか、経験したことのない爆発音です。建屋の中にいたんで響いたかもしれないですけど。ホントにもうすごいです、ドカーン!と。

久田:映画でいう爆発みたいな?