福島第一原発事故 10年目で出て来た新事実 「フクシマ・フィフティー」のアナザーストーリー 第6回(インタビュアー│奥山俊宏、久田将義)

2012年2月15日に久田氏のインタビューを受けた際には、彼は3号機爆発のときの経験を次のように振り返っている。

久田:どの程度の衝撃でした?

マサ:1号機って、モノがちっちゃいし古いんで、ブローアウトも薄いんすよ、すごく。だからあんまり大きいドッシリした音じゃなくて、わりと軽い、パカーンみたいな音でいっちゃうんですけど、3号は違うんで。ホントに爆発です。ドカーンッていう。

久田:1号機はブローアウトだから?

マサ:3号も同じブローアウトなんですけど、でも、つくりがちょっと違うんで。3号のほうが全然重いんですよ。僕らは隣の2号にいて、その大物搬入口の隣がすぐ3号ですから。だから2号から出ていくタイミングがもし間違ってたら、これに当たってたんですけど、たまたま当たらなかったんで。

久田:よくそこで犠牲者出なかったですね。

マサ:出なかったですねぇ。

久田:出てもおかしくはなかった?

マサ:そのときにみんな外に出てた状況だったら、みんなガレキに当たってました。でも、たまたま中にいたので。

久田:それはいま思い返せば、「命拾ったな」みたいな感覚ですか?

マサ:「拾ったな」ですよ、ホントに。あのときはタイミング的には自分の仕事は終わってたんで。車でそこまで来てたんで、戻ろうと思ってたんですよ。でも中でやってる人間がまだ終わってなかったんで、様子見に戻ったんですよ。それで助かったんです。

久田:同僚のかたもみなさん同じような感じだったんでしょうかね、九死に一生じゃないですけど。

マサ:逆に外に出てたほうが線量が高いんで、建屋の中にいたほうが線量が低いんで、待つなら中で待ってたほうがいいんです。だから終わっても中で待ってて。みんなが終わったら出ようねと待ってたんです。それで助かったんです。

久田:ホントにギリギリですよね。

マサ:ギリギリです。

久田:爆発がすごいって聞いたんですよ。飛び散った瓦礫が突き刺さってるし、みたいな。

マサ:だから乗ってきた車は3台全部グチャグチャですね。屋根はつぶれてるし。

久田:当たったらホント死んじゃいますね。

マサ:死にますよ。ドーンといったあとに、外が見えるじゃないですか。そこが一瞬ブワーッとすごいホコリだったんだけど、そのとき風がけっこう吹いてたんで。そのときにうちの会社の人間じゃないんだけど、放射線管理やってる人間もいて、「いま出ちゃダメ」って言われて。で、煙がうわっと風でなくなったときに、「今だったら行けるから」って言われて、それでみんなで一斉に逃げたんです。

14日の3号機の爆発について、東電事故調の報告書は「風圧はなかったが,風船をバンとやったみたいな音だった」「すさまじい爆発音とともに,埃が舞って真っ白になった」「ドンと音がして揺れた」「すさまじい衝撃音」などと複数の現場社員の声を紹介している。共同通信の高橋記者は編著書『全電源喪失の記憶』の中で、2号機タービン建屋にいた東電の松本光弘氏(復旧班電気設備担当)が建屋のすぐ脇に止めた業務車に向かう途中、「ズドォォォォォォン」という「重く大きな爆発音」があり、「もの凄い衝撃に体が吹き飛ばされそうになった」と描写している。
14日、爆発に遭遇して免震重要棟に戻ってきた後、彼は「もう一回、現場行ってくれる?」と頼まれたという。彼は「もう行かないよ、冗談じゃないよ!」とそれを断ったという。

(次回に続く)
〈インタビュー@奥山俊宏(朝日新聞編集委員 文責@久田将義(TABLO編集長)〉

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