福島第一原発事故 10年目で出て来た新事実 「フクシマ・フィフティー」のアナザーストーリー 第6回(インタビュアー│奥山俊宏、久田将義)

マサ:ホントに映画みたいな。

奥山:耳をつんざくという感じですか?

マサ:それよりも、もっと低い音ですね。

奥山:ドーンという音ですか?

マサ:音的な種類でいえばドーンなんですけど、もっと速い感じですね。ドーンじゃなくて、ダーンッ!いう。

奥山:隣ですもんね。

マサ:そうですね。

奥山:衝撃は?

マサ:それはなかったですね。

奥山:音だけ?

マサ:音だけ。

奥山:目に見えるものはないわけですよね、タービン建屋にいたから。

マサ:そのときは。でも大物搬入口がもう抜けてますんで。で、ぼくらがこっちに入ってて待ってるときに、帰ろうとしたときにドーンっだったんで。で、いったんまた中に入って。で、大物搬入口は見えるんで、直線なんで。向こう側が海で。見えるんで外が。

奥山:東側に向かってあいてるわけですね?

マサ:ええ、外は見えるんで。そのときはブワーッていう真っ茶色な、外は。すごい状況になってて。は見えましたね。ドカーンのあとにその状況は。

奥山:そのときも何が爆発したのかはわからないわけですよね。

マサ:わかったのは、「3号だろう」っていうことだけですよね。

奥山:それはブローアウトかどうかっていうのは。

マサ:いや、音の質が違いすぎたんで、わかんなかったですね。

奥山:その現場には東電の人はいたんですか?

マサ:いましたよ。

奥山:何がなんでどんなふうに爆発したのかっていうのは。

マサ:いや、何もないですね。それはあまりにも衝撃と音が近すぎて、「どうすんだ? どうすんだ?」っていう。

久田:パニックですか?

マサ:パニックっていうか、固まってますよ。「え、何?」みたいな。みんなでかたまっちゃって。

奥山:3号が爆発するんじゃないかっていう話は、爆発の前からあったと思うんですが。要するに1号と同じようになるんじゃないかっていうのは。その話としては当時は?

マサ:ないですねぇ。ぼくらは全然そういう感覚的なものがないんで、情報がないんで。

奥山:1号がダメになって、今度は3号がポンプが止まって注水が止まったとかっていう情報っていうのは?

マサ:わかんないです。プラントの情報は一切わかんないです。

奥山:2号は当時はポンプがまだ回ってたと思うんですけど、そういう情報もなかった。

マサ:ないですね。プラントの情報は一切ない。

【3号機は、13日に冷却できなくなったため、1号機と同様に炉心で水素ガスが発生し、原子炉建屋内にそれが溜まって、爆発する恐れがあるとの認識があらかじめ東電社内外に広く共有されていた。建屋内の水素ガスを外に出す方法として、「ウォータージェットによる原子炉建屋壁への穴開け」が検討され、14日午前零時ごろ、そのための機器がメーカーに発注されていた。
大物搬入口というのは、機器を搬出入するトラックが出入りできる大きさがあり、原子炉運転中はシャッターで閉じられている。彼がいた2号機タービン建屋の大物搬入口は建屋の中でも最も3号機に近い場所にあり、道路を挟んで3号機タービン建屋の並びにある。3号機原子炉建屋の北東角との直線距離は80メートルほど。】

作業員が付けているAPD。

奥山:3号が爆発する恐れがあるっていうこともご存じなかった?

マサ:わかんないです。あれねぇ、東電の賠償になんか足してくれないかなとか思ってて。そんなとこに行かされたぼくらは(笑)。

奥山:そうですよね。しかも、知らされもせずに。

マサ:冗談じゃねぇなと思って。

奥山:自衛隊の人がケガして、なんにも知らされてなかった、ということで。

マサ:自衛隊の人もいましたし。3号の爆発のときには、ぼくら、それから、メーカーの人、それから、自衛隊は注水やってた人、それぞれいて。逃げるルートは同じとこなんで、みんなで一斉にいろんな人がそこのところを、2号と3号のあいだのガレキの上をみんなで走って逃げて。

奥山:それは、しばらく収まるまでどれくらいの時間を置いたんですか?

マサ:あのときドカーンといったあと逃げて、「なんなんだ」って外を見たときに真っ茶色になってたんですけど、ちょっと様子を見てるうちに、あのとき風が強かったんで、フワーッとなんにもなくなったんですよ。きれいになって。で、誰が言ったかわかんないですけど、「今だ!」っていう声が聞こえて、一斉にそこから逃げた。

奥山:その2号と3号のあいだにほこりがワーッともやってたのが、風で?

マサ:そうです、たぶん消えたと思うんです。ぼくらは大物搬入口しか見えてないですけど、なくなったんで、「今だ!」って誰かが言ったので、そこから屋外のガレキに。

奥山:2号と3号のあいだを走ったわけですか?

マサ:走った。たしかに、そのときには何もなかったですね、ほこりもなにも。きれいな感じでしたね。いい天気だったんですよ。覚えてます。全然、目の前はガレキだらけだったけど、ほこりとかは一切なかったです。そこをとにかく走って逃げるばっかりで。

奥山:3号の建屋は見ました?

マサ:見てないです。見えたのは、自分たちが乗りつけた車がガレキでグジャグジャになってるのだけは見えたんです。そのときは3号は見なかったです。一目散に前だけ見て、坂を歩きましたね。

奥山:2号と3号のあいだを抜けて。

マサ:そう、免震棟側にずっと、とにかく行くしかない。免震棟に帰るしかないんで。そのときも、ぼくら含めて40人から50人ぐらいの人数いますから、2号と3号のあいだをみんなで走ってるんですけど、あちこちからみんな持ってるアラームが鳴ってて鳴っててすごいです、あっちもこっちも。

久田:ピーピー鳴ってるんですか。

マサ:そうです。その音しか記憶にないですね、音的なものは。あとは自分の呼吸音と。マスクしてるんで。自分の呼吸音とまわりのアラームの音しかない。

久田:他の皆さんのも鳴ってるわけですよね。

マサ:鳴ってたと思う、自分のはわかんないですけど。でも、マスクつけてそんなに走れないんで。30メートルちょっと、ガレキを越えたぐらいのところでみんな、「もう走れねぇ」みたいな感じで。あとは歩きましたけどね。それが14日ですね。俺、半日か1日かちょっとあれがあるんですけど。

奥山:ちょっと話は戻るんですが、2号のケーブルの接続は、ほぼでき上がってたわけですよね。

マサ:それはもう終わってました。終わって帰るときの話なんで。

奥山:実際に電気を通すっていうところまではしてなかった?

マサ:それは2号と3号のあいだに電源車を置いて中に引いてるんで、3号が爆発した時点で全然使えなくなっちゃった。やったことは全部無駄になっちゃった。

奥山:電源車も壊れた?

マサ:そうですね、あとから行って見たときには、電源車から建屋に引き入れたケーブルにガレキが突き刺さってて、とてもじゃないけど使える状況になってなかったです。だからミッション的には何も成果なしです。

奥山:3号機が爆発しなければ、2号機をその電気で救えてたかもしれないですね。

マサ:たぶんできたかもしれないです。

奥山:1号機の爆発で壊れたものを直したっていうことですよね。

マサ:ぼく、5日間で自分が行った現場で、成果はひとつもないんですよ。1回目は途中で帰ってきてるし、2回目は爆発でダメになっちゃうし。なんにもないです。

奥山:2号のディーゼル発電機がダメだったとか、あるいはバッテリーも直流電源もダメだったとか、そういうのは?

マサ:ないですないです、全然わかんないです。ぼくらは実際、なんの目的でこれをやってるのかは、あんまりよくわかってない。この電源を生かす、あれを調べてこいって言われたときに、それは何のため、何を目的としてやってるのかっていうのは説明されてないです。そんな時間もないというか。

奥山:2号のRCIC(原子炉隔離時冷却系)という炉に注水するポンプは、まったく制御のない状態だったんですけど、自然に動いてたらしいんですが、それは14日の爆発の前後ぐらいに止まったようなんですけれども、そのあたりは当時お話は聞いてました?

マサ:わかんないです。ホントにプラントの中の情報っていうのは、ひとつもわかってないんで、ぼくらは。

奥山:2号のタービン建屋の中にいて、爆発音を聞いたけれども、その衝撃、身体への振動があるわけではなかった。

マサ:ないです。ぼくらはもともと震災のような大きな地震があったとしても、どっかの事務所とかにいるよりは、建屋の中にいたほうが安全だと思ってますんで、もともと。

奥山:そのあと走って逃げて、免震棟に戻られてっていうことになる?

マサ:そうです。14日の午後に戻って、その段階で、それ以上はもう仕事はなかったですね。