10年目の福島第一原発事故 「僕らはこの震災前までは安全だと思っていた」(福島第一原発作業員) 最終回(インタビュアー│奥山俊宏、久田将義)

奥山:それは結果的には4号の爆発なんだろうかなと、今となっては言われてるみたいなんですけど。

マサ:そこは不思議なんですよ、ぼくらも。

奥山:でも、音だけだと4号か2号かわからないですよね。

マサ:もちろんわからないです。そのときにぼくらが聞いた噂というか伝わってきたのは、2号のサプチャン(格納容器の下部にある圧力抑制室)が爆発して穴あいたっていう話を聞いたんで、ああ2号なんだな、と。

奥山:4号の建屋が爆発して見るも無残に壊れましたが、それはご存知でした?

マサ:知らないですよ。それってもっとあとでしょ? ぼくらが出てっいっちゃったあとの話みたいなんで。

奥山:情報が出たのが。

マサ:そうです。だから知らなかったです。

奥山:実際に壊れたのは15日の午前6時過ぎですよね。

マサ:そうですね。それをぼくらは2号のサプチャンって聞いてたんで、4号って話は全然なかったんで。

奥山:2号のサプチャンって聞いたっていう人が、誰が聞いたんですかね。

マサ:サプチャン自体を見られるわけじゃないので、そこに穴があいたのを見た人がいるわけじゃないんで。圧力が全部ゼロになったらしいんですよ、その爆発のあと。2号の。で、サプチャン抜けたっていう話なんですよねぇ。で、ぼくらも、「ああ、計器全部ゼロになった、圧力抜けちゃったんだ。じゃあ穴あいたんだね」っていうふうなんですよね。

奥山:15日の朝はどんな音でした?

マサ:もう寝てたんで、あんまりこうあれはないですけど、ズンッて。

奥山:大きな音ですか。

ボロボロになった建屋。

マサ:大きいというより、低音の響く音ですよね。

奥山:1回ですよね。

マサ:1回です。地下を伝わってくるような感じの、ズンッていう感じの。でも、やっぱり地震とどっちだ?って思うぐらいだから、それなりの衝撃はありましたよね。4号って話じゃないですよね。2号のサプチャンとしか聞いてない。

奥山:4号については定検中で、GEのアメリカ人がたくさん来てたそうですけど、そういう人は11日とかはいました?

マサ:11日当時にいた外国人っていうのは、もともと震災前の仕事で来てる人たちが帰れなくていたわけで。震災の対応でわざわざ来たっていう人たちじゃない。外人さんもまだ、事務員の女の子もいっぱいいましたからね、いろんな人が。廊下といわず、階段といわず、人だらけだったんで。12、13日ぐらいまでは。

彼がいた免震重要棟と4号機原子炉建屋は直線距離で600メートルほど離れており、1~3号機に比べて遠い。同じ免震重要棟にいても、吉田所長は、音を聞いたり衝撃を感じたりすることはなかったという。政府事故調の聴取に吉田所長は「ぽんという音がしたという情報が入ってきた」と説明している。免震重要棟で仮眠していた別の東電社員は記者の取材に、「花火が鳴るようなパンパンという音がして目が覚めたんです。たしか2回くらい。
1号、3号(の爆発音)はバーンと響くような感じでしたけど、4号機の場合はパンという破裂音に近かった」と振り返っている。共同通信の高橋記者は編著書『全電源喪失の記憶』の中で、「1、3号機の爆発時より小さな衝撃だったが、明らかに地震とは違う震動」が免震重要棟に「ズンッ!」と伝わった、と描写している。
久田氏による2月15日のインタビューの際に彼は次のように振り返っている。

 

久田:15日は4号機が水素爆発ですね。

マサ:それはでも、当初は2号って聞いてたんですよ。僕らが聞いてたのは。15日の朝がた、退避の話が出る前に、寝てる状況のときにド~ンッていう低い。15日の朝。4時とか5時。いま言われてる4号が。僕らは2号って聞いてて。

久田:低い音だったんですか?

マサ:向こうのほうの、土の中でボォ~ンといってるような。

久田:怖くないですか?

マサ:でも僕らは免震棟で寝てたんで、「なに、今の音?」みたいな感じで起きはしましたけど。でもべつに、そこからどうこうしなかったですね。そのまま朝になって、そうこうしてるうちに「退避するんで、準備をして待ってください」っていうことになって。僕らは退避の準備をして、いつでも出れるような。

久田:具体的にどういう準備を?

マサ:タイベックを着て、マスクを着けて、自分たちの荷物をまとめて、出れる状況に。

久田:APDは着けてるんですか?

マサ:そのときはつけてないです。その状態で1時間ぐらい待ったあとに、「今からみんなで順番に2Fに移動してもらいます。車がない人はバスが出ますんでバスに乗ってください。移動手段がある人は、個人の移動手段でいいですから2Fに移動してください」と。僕は自分の車があったんで、免震棟の駐車場に置いてある会社の車にいったん乗って、自分の車まで行って、自分の車にあとふたり乗せて2Fに移動したんです。道すがら、誰もいないところで、もう2Fに逃げる人たちだけですよ。1Fから出て行く人たちだけがずーっと。

久田:東電の人は全員で何人ぐらいですか?

マサ:そのときは50人ぐらいしか残ってないはずです。

久田:電力の人は、いわゆる「福島フィフティー」の人たちだけですかね。

マサ:だけしか残ってないです。そのときは東京電力の保守に携わる人たちも、とりあえずいったん全部逃げて。残るのは運転員と、緊急対策室にいる人だけ。

久田:あとは所長とか。

マサ:あとはみんな退避っていうことで、東電の人もみんないるし、すごい車の台数で連なって逃げてって。

久田:数百人なわけですよね。

マサ:そうです。

 

3月11日から15日朝までの4日間、口にできた食べ物は、「クラッカーと、あとは魚肉ソーセージ、あと、カロリーメイト、ゼリーみたいなやつ」だけだった。浴びた放射線量は積算で12ミリシーベルトだった。
福島第二原発の体育館で、彼と同僚2人は何もすることなく過ごした。東京電力の幹部社員が名簿をつくって一人ひとりの社員に「状況がよくなったら福島第一に戻るか」の意思を確認しているのを横で聞いて、彼は、「かわいそうだな、まだ戻れって言われてるよ、この状況で」と思ったという。
15日夜、「ここにいてもどうしようもないんで、帰っていいか」と東電の社員に尋ねたところ、「いいですよ」と言われた。「今まで俺ら何を待ってたんだ?」と思いつつ、自分の車で浪江町の自宅に戻った。「ゴーストタウン」のようになった、だれもいない街の自宅は停電になっておらず、冷蔵庫の中にあるビールを飲んで、「とりあえず疲れちゃったから、ゆっくり寝てあした考えよう」と思い、床に就いた。

 

■実施されなかった防波堤建設計画

 

奥山と久田氏のインタビューに応じた2012年2月29日時点で、彼は引き続き、福島第一原発で勤務していた。

久田:今、線量はどれくらいですか?

マサ:ぼくは今、積算で45ミリぐらいですかね。うち80までOKなんで。

久田:年間ですか?

マサ:年間というか、今の仕事に対して。80いくまでは。

久田:80いったらどうなるんですか?

マサ:どっかに行くんでしょうね。

奥山:その40ぐらいは、ほとんど15日までで?

マサ:15日までのあいだには12。で、15日以降の11か月間で45まで上がったんで。下がってないんですよ、線量は。

久田:下がりようがないですもんね。

マサ:下がりようないです。根本を潰してないから。

久田:世論的に、脱原発みたいな流れになってるじゃないですか。国策で原子力になったわけですけど、どういう感じなんですかね、個人的な感想としては。

マサ:ぼくらなんかはこの震災前までは実際安全だと思ってたし。ただ、安全だとは思ってるけど、東京電力を信用してるっていうことじゃなくて。今いる原発は安全だとは思ってると。ただ、東京電力がやってること、ぼくらに指示してることが必ずしも正解とか、方向性が間違ってないとかは全然思ってなくて。もちろんそれは政治的なものもあるだろうし、世間体もあるだろうし。
そういうことを考えて、東京電力で動かないと、会社としてありえないだろうから。やっぱりそういうところは信用してないというか。国とか保安院とかの意見は丸飲みだし。それを説明するため、納得させるためだけに、ああしたりこうしたりという、ぼくらからしてみれば、下から見てみれば、「意味ねえじゃん、しゃべればいいじゃん、それ。
こうこうこういうわけだっていうのをしゃべれないから、言いなりにこういう形にしてしまう」とか、そういう部分はあるので。そういうところは全然納得してないというか。ただ、基本的に原発自体は、ぼくらが働いてるところ自体は、さっき言ったように、多少の地震ならこっちにいたほうが安全だっていう思いではあったし。

久田:やっぱり今回は津波(が原因)っていうことですね?

マサ:そうですよ。あれはだって……。

久田:ぼくも彼ら(作業員ら)に聞いたじゃないですか、11日に逃げたときに、気づいてなかったんですよね、建屋はあんまり……。

マサ:その何年か前に、ほんとは防波堤を1500億ぐらいかけてつくるという計画があったのをやればよかったのに、それをやらなかったからこうなっちゃったんで。計画はたしかにあったらしくて。

奥山:そうなんですか?

マサ:うん、防波堤をつくると。

奥山:何年ぐらい前ですか?

マサ:起こる3年ぐらい前かな。

奥山:わりと最近なんですね。

マサ:そうです。一時期はその計画が持ち上がったんだけど、なんらかの理由でそれがポシャッて、つくらないということになって。もしあそこで1500億円かけて堤防をつくってれば、どんな被害になったかはわからないですけど、もっと抑えられた可能性は当然あるし。

奥山:今の話はまったく初耳というか、出てない話だと思うんですけど。

マサ:ぼくらの中ではそう。「補償で何兆払うんだったら、1500億円使っとけばよかったのになぁ」ってみんな言ってますよ。