野党オールスターが実現した平成・民主党 今見ると凄いメンバーです 自民の支持率低下だが野党も伸びないのが世論

その後こんな政党名になりました……(撮影・編集部)

今年は解散総選挙の年だが、果たして政権交代はあるか? 日本は常に「空気」によって社会が変わっていくが2009年8月30日の衆院選では政権交代が達成された。民主党は193議席増の308議席で自民党は181議席減の119議席である。

2007年の参院選で民主党が大勝利し「ねじれ国会」となっていたが、その勢いと「政権交代」という新時代の幕開け的雰囲気が2009年夏の日本には漂っていた。

自民党はその数年前より「安倍首相政権投げ出し」「柳澤伯夫厚労相『生む機械』発言」「松岡利勝農水相光熱費問題で『ナントカ還元水』発言」「赤城徳彦農水相が事務所費問題発覚で絆創膏を顔面にベタベタ貼って会見」「福田康夫首相『あなたとは違うんです』逆ギレ辞任会見」などがあり、逆風が吹いていた。

そんな中、民主党は明るい日本の未来を「マニフェスト」という新しい言葉で示し、有権者の支持を集め、歴史的対象を果たした。マニフェストは要するに「公約」であるが、なんだか新しそうな語感があったため、メディアも国民も絶賛した。

高速道路無料、八ツ場・川辺川両ダム中止、天下り先法人の廃止、補助金改革、子ども手当の全額支給など様々な明るい未来を示した。民主党は公共事業の無駄遣い=悪、という図式を作りその後は「事業仕分け」を行なうなど庶民目線に立っているように見えたのだが、わずか3年で3人の首相が就任するなどドタバタの連続で結局2012年に再び下野する事態となった。

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東日本大震災という未曽有の災害があったことは不運ではあったものの、初期の頃の民主党は確かに期待があった。最初の組閣された内閣は「オールスター内閣」と呼ばれた。2007年の参院選での勝利以降勢いのあった民主党だが、自民党が失敗を続ける約2年の時間をかけ、ついに政権交代を成し遂げたのだ。その間、民主党の議員は国会で厳しく与党を追及。その中でも「ミスター年金」こと長妻昭氏は存在感を示した。