番長がいた時代 古書『ツッパリ』と東京都内を跋扈していた少年ヤクザ

『ツッパリ』より。当時の構成図。

先達には到底及ばないですがワニマガジン社に入社して『アウトロー伝説』といったムックの編集から始まって、『実話ナックルズ』やその他別冊、ニコニコ生放送などのネット配信を通じて、不良少年たちに取材も含めて会ってきました。

令和の時代、皆さんは「番長」という言葉にどういうイメージをもたれているでしょうか。アラフィフ、アラフォーの人々はヤンキー漫画・不良漫画に影響をうけている人が多いと思います。その一つは、不良漫画の革命的作品『BE-BOP HIGHSCHOOL』(きうちかずひろ著 『ヤングマガジン』講談社)です。

それ以前は本宮ひろ志先生の一連の番長漫画が少年たちを夢中にさせていました。番長漫画と不良・ヤンキー漫画の大きな違いの一つに「主人公の行動範囲」があります。番長漫画の場合、主人公の行動範囲は「日本全国」です。「日本一の番長になるんだ」というような広大な夢を持った番長が登場してくる訳ですが、『BE-BOP HIGHSCHOOL』の主人公たちの行動範囲はせいぜい数十キロといったところでしょう。日本中で喧嘩をしていたら身が持たないのと、不良少年の気質として地元を大事にするので、まずはそこを制覇するという、ロマン路線からリアル路線への転回が『BE-BOP HIGHSCHOOL』によって起こりました。

そして、「番長」という呼び方を否定する事で、余計にリアル路線を強く打ち出していきます。あるいは、当時流行していた、横浜銀蝿というロックグループのような暴走族のオマージュをことごとく潰していきます。主人公トオルとヒロシたちは「おう、番長じゃねえか。プッククク(笑)」といったようなセリフを口にし、当時の読者である少年たちは「番長って恥ずかしいんだ」とインスパイアされたものです。

恐らく、現在も「番長」という単語は使われず「番を張る」とか「アタマ」とか「トップ」といった言いまわしに代わっているはずです。そんな中、昭和56年発行の『ツッパリ』(秋元誠著)という本を入手しました。

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