川奈まり子の奇譚蒐集 キュリオシティ・コレクション

幽霊画の祟り(後編) 「背中にしがみつく、お歯黒の女」|川奈まり子の奇譚蒐集二一

2019年01月30日 お歯黒 川奈まり子 幽霊画 後編

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ohaguro.jpg写真はイメージです


一目で「ニセモノだろう」と直感した。......にもかかわらず、この幽霊画の女と目が合ったように感じた途端、どうしてもこれを手に入れないと気がすまなくなってしまった――

この幽霊画に、持ち主に災いを引き起こす呪いがかけられていたとしたら......?

前編はこちらから:幽霊画の祟り(前編) 「某オークションで手に入れた謎の贋作」|川奈まり子の奇譚蒐集二〇


 2001年の志村さんに話を戻す。
 有名オークションで首尾よく1万円で落札した問題の絵を、彼は自分のタトゥースタジオの壁に飾った。
 今風のロックテイストのインテリアに、古色蒼然とした幽霊画の掛け軸が似合うはずがなく、明らかに違和感があった。
 客も、遊びに来た志村さんの友人や恋人も、全員が口を揃えて、「なぜこんなものを飾るのか?」と彼に問うた。
 恋人に至っては、はっきりと「気持ち悪いから、見えないところにやってよ!」と言った。

「ここにずっと掛けておくなら、もう会いに来てあげない!」
「そんなこと言うなら来なくていいよ。仕事の邪魔だ!」
「......ちょっとそれ、本気? 呆れた! じゃあもう来ないよ!」

 こんなのは売り言葉に買い言葉というやつで、すぐに忘れてくれるだろうと高を括っていたら、彼女は本当に彼のタトゥースタジオに来なくなった。それまでは毎日訪れて片づけを手伝ってくれていたのに。
 志村さんは憤慨し、別の女性とも交際を始めた。


 彼は、この幽霊画に魅了されていた。大いなる魅力の前には、ほとんど何についても、些細なことに思われた。
 その傍ら、醜いと言ってしまってもいいような凄まじい形相の老婆の霊を描いた絵なんぞに惹きつけられる自分を、不思議に感じてもいた。
 お歯黒の口もとも、痩せさらばえた肉体も、ざんばらの髪も、少しも綺麗ではないのである。
 最も不気味なのは、どちらを向いているのかわからない眼だ。

 京都の古刹・妙心寺と天龍寺には、《八方睨みの龍》と呼ばれる龍の天井画がある。また、本願寺書院の天井には一隅に《八方睨みの猫》と称される絵が描かれている。どれも、どこから眺めても描かれている龍または猫と目が合うように感じられることから、そう呼び慣わされているのだ。

 この幽霊画の老女も、八方睨みの眼を持っていた。黒目の周囲に白目を多く残しつつ、わざと目の焦点が少し合っていないような感じに描かれているからだろうか? 室内のどこから絵を振り向いても、必ず、絵の中の老女と目が合った。

 おかげで絶えず、見つめられているような心地がした。

 志村さんは、これを「見守られている」と思い、大きな安心感を得た。もはや心の支えと言ってもよかった。なにしろ、幽霊画の老女の視線を感じていないと寂しくて仕方がないほどなのだ。

 日が絶つほどに、この幽霊画と離れがたくなり、志村さんは自宅のマンションに帰らず、タトゥースタジオに寝泊まりすることが増えた。


負傷する忠告してくれた人々


 志村さんが幽霊画とべったりくっつき、タトゥースタジオに籠り切りになるに従って、客足が遠のき、売上が落ちていった。
 ある日、独立に際して協力してくれた年上の知人が、心配顔でようすを見に来た。

「なんだか良くない噂を耳にしたから......。これが問題の絵か......。なんて不気味なんだ! こんなの外さなくちゃ駄目だよ! わからない?」
「何がです? 僕はこの絵が気に入っているんですよ」
「おかしくなっているんだよ! オカルト的なことはあまり信じないけれど、これはさすがに......悪い気を発散していると思う! 実際、みんな気持ちわるがるだろう? 誰しも本能的に感じるんだよ、これは悪いものなんだと」
「気のせいですよ。放っておいてください」
「この店が潰れてもいいのかい? 客が寄りつかなくなるよ!」

 何年も前から尊敬し、恩義をも感じていた人物からの忠告だった。
 だが、志村さんは耳を傾けようともせずに、追い返してしまった。
 この恩人が車に轢かれて重傷を負ったのは、タトゥースタジオを出た直後だった。

 それから少しして、今度は、最初に彼に率直な意見を述べた恋人が、手首を切って自殺を図った。
 幸い未遂に終わったものの、このこと以来、志村さんの頭から「自殺」に二文字が片時も離れなくなった。

――自分も死のうとしても、いや、彼女とは違い、本当に自死してもいいのではないだろうか? できれば、この幽霊画の前で死にたい。

 こんなことを考えるようになった矢先、オカルト好きな友人がタトゥースタジオを訪れて、掛け軸の写真を撮らせてくれと言った。承諾すると、嬉々として持参したデジタルカメラで撮影した。友人はその場ですぐに、撮れたものを液晶画面で確認しはじめたのだが。

「うわっ! 絵の前に人魂が写ってる! 見てみろよ!」

 そう言われて見てみると、掛け軸の前に青白い光の玉が浮かんでいた。

「ハレーションじゃないか? フラッシュを焚かずに撮ってみたら?」

 絵にケチをつけられることは避けたかった。人魂なんてあるわけがない。肉眼では別段、変わったものが見えるわけではないのだし......。
 しかしどう撮り直しても、何度でも、青白い人魂のようなものが幽霊画の老女の胸のあたりに写った。
友人はだんだんと怯えたようすになり、逃げるように帰ってしまった。

 志村さんは再び、掛け軸に描かれたお歯黒の女と二人きりになった。

――死ぬなら今かな?

 彼は首を吊る場所を探しはじめた。
 と、そこへ、最近付き合いはじめた方の彼女――自殺未遂をした女性とは別の、もう1人の恋人が突然、訪れた。
 彼女が来るのがあと30分も遅かったら、自殺を遂げていただろうと思うタイミングだった。
 志村さんは自殺を思いとどまり、彼女と二人でタトゥースタジオを出た。

 すでに深夜だった。タトゥースタジオがあるビルの駐車場に彼は自分の車を置いていた。彼女を助手席に乗せて、車を運転して自宅に帰ろうと思った。しかし、途中で急に眩暈を覚えて、気がついたら電柱に衝突していた。


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 助手席の彼女も志村さんも軽傷で済んだが、これ以降、彼女に避けられるようになってしまった。
 おまけに、怪我をしても誰も見舞いに来なかった。
 志村さんは久しぶりに孤独を実感した。
 怪我のせいで仕事を休んで自宅で休養したせいだろうか。

 タトゥースタジオから離れ、幽霊画に寄り添われている感覚が遠のくに従い、自殺未遂をした彼女や忠告してくれた恩人、人魂に怯えていた友人の顔が次々に頭に浮かんだ。
 事故から10日ほど経ち、怪我がほぼ癒えた頃、志村さんは、それまでもたまに訪れていたバーに行き、顔見知りのマスターに、これまでの出来事を打ち明けた。

「ふうん......。僕はやっぱり、その絵がいけないんだと思いますよ。だって、それを買うまでは何もかも順調だったのに、買った途端に悪いことばかり起きているじゃありませんか?」
「偶然だと思うんだけどなぁ」
「でも重なりすぎていませんか? おふくろは、どう思う?」

 マスターはかたわらで皿洗いをしている年輩の女性に話を振った。志村さんはこの女性をここで見かけたことが再三あったが、このときまで彼女がマスターの母親だとは知らなかった。

「どうせ聞き耳を立てていたんだろう? どう思うよ?」

 マスターの母親は苦笑しながら志村さんを振り向いた。

「その絵は手放した方がいいでしょう。だってそのうち死ぬ人が出そうで怖いじゃない?」

――彼女は志村さんが店を出た直後に、階段から転げ落ちて重傷を負い、意識不明に陥った。

 その旨を後日、志村さんはマスターから聞かされた。

「僕があんな話をしたせいだろうか......。ごめんなさい!」
「ううん! 志村さんは悪くありませんよ! きっと例の絵のせいです。志村さんがうちに来たとき、カウンターの隅に座っていたお客さんも、志村さんと僕たちの話を聞いていたんだそうです。それで、あの夜、家に帰って入浴していたら、バスタブのお湯に歯が黒い女の顔が映ったんですって!」
「歯が黒い女?」
「ええ! 志村さん、よく思い出してみてください! 僕は志村さんの絵を見ていません。それから志村さんは、うちのバーに来たとき、その幽霊画の女の歯のことなんかひと言も話しませんでした。でも、お客さんがバスタブに映った女の歯が黒かったと言ったということは......もしかしてそれは、お歯黒をした女の幽霊の絵なのでは?」
「そのとおりです!」


もう大丈夫だ......そう思ったのに...


 志村さんはさすがに怖くなり、諸悪の根源と思しき掛け軸を店に置いておくのはやめようと思った。
 怪我で仕事を休んだのは2週間ぐらいだったが、仕事を再開した初日は開店休業状態で、2日目も、開店から1時間経っても2時間経っても、客はおろか、問い合わせの電話やメールも全然来ない。

 こいつのせいだろうか、と、掛け軸を見やると、幽霊と視線が絡み合った。

 幽霊と見つめ合ったまま、ふらふらと絵の方へ吸い寄せられたが、掛け軸に顔が触れる寸前に、ふと我に返って、彼は掛け軸を壁から外した。
 くるくると巻いてリュックに入れ、まだ日は高かったが出入口に閉店の札を下げて、リュックを背負い、店を出た。

 車は事故で全損したので、徒歩で電車の駅を目指して歩いていると、急に後ろから声を掛けられた。

「ちょっと、そこのお兄さん! 待ちなさい!」

 振り返ったら、通りすぎたばかりの仏具屋の前から年輩のおばさんが小走りに近づいてくるところだった。

「なんですか?」
「私はそこの仏具屋の者です。いきなり出てきて変なことを言うと思うだろうけど、今のうちに何とかしないと危ないから、教えておきます。......あなたの背中に、お歯黒を付けた女がしがみついていますよ! 私には昔から霊感があって、そういうものが見えてしまうの。あなたは悪霊に取り憑かれているのよ! 経本をあげるから、すぐに般若心経を唱えなさい!」

 ふりがなを振った般若心経が印刷された小冊子を貰い、それを読みながら電車に乗って、志村さんは実家へ帰った。

 幽霊画の掛け軸を実家に預けることにしたのだ。志村さんの実家はラーメン屋を営んでいた。家に到着したのは午後の早い時刻だったが、父と弟は夕方からの開店準備で、すでに店の方へ行っており、母が1人で留守番をしていた。

「どうしたの、急に? また何かあったの?」

 先日の事故のときに、自損事故を起こして同乗していた女性に怪我を負わせてしまった旨を両親に報告していた。また何かやらかしたのかと思われるのは無理からぬことだった。

「いや、今日は預かってほしいものがあって、持ってきただけなんだ」

 志村さんは掛け軸を、かつて自分と弟が使っていた部屋のクローゼットの上に置いた。実家はこぢんまりした一戸建てで、その部屋は二階にあった。一階の居間に行くと、母が急須でお茶を淹れて待っていた。

「そこに座りなさい。......大輔、あんた、変なものを持ってきたでしょう?」

 なぜわかるのかと驚いた瞬間、志村さんの頭の中に、二階のクローゼットの上からお歯黒をつけた白い着物姿の女が下りてきて、こちらへ向かってこようとするイメージが現れた。
 志村さんは無我夢中でリュックに飛びついて、さっき貰った般若心経の小冊子を掴み出してページを開くと、大声で音読しはじめた。

「ぶっせつまか・はんにゃはらみた・しんぎょう! かんじざいぼさつ・ぎょうじんはんにゃはらみったじ・しょうけんごうんかいくう!......」
「大輔! 何をやっているの!? うるさいよ! なんで大声でお経なんか急に......。エッ!? なんなの、この風!? 窓が閉まっているのに......!」 

 どこからともなく突風が吹いてきて、部屋中を激しく逆巻いた。
 般若心経を唱えるうちに風が弱まり、最後まで詠じると完全に鎮まったが、志村さんはまだ安心できないと思い、翌日、近所の寺へ掛け軸を持っていってお祓いしてもらった。
 それでもまだ油断ならない感じがしたので、高校のときの同級生に掛け軸を預かってもらうことにした。その同級生は神主の息子で、自身も神職に就いていた。さして詳しく説明しなくとも、快く掛け軸を預かってくれた。

 ――もう大丈夫だろう。
 そう思ったのだが。

「今度こそやり直そうと決意して、翌日、自分のタトゥースタジオに行ったら、自殺未遂した彼女と顔見知りの男が待ち構えていました。2人は......特に彼女は何かに取り憑かれたみたいに、わけのわからないことを喚きながら掴みかかってきて......気がついたら鼓膜が破れたのかと思うほど辺りが静まりかえっていて......両手が血塗れで、そこら中に血が飛び散って......彼女と男が倒れていました」

 志村さんは、刃物で2人を刺して重傷を負わせ、懲役7年の実刑判決を言い渡された。刑務所にいる間に、母が手紙で、神主になった同級生から理由も告げずに掛け軸が送り返されたことを知らせてきた。

「すぐに手放すように母に伝えて、てっきり、すぐに捨てたものだと思い込んでいました。ところが、出所して何年か経った頃になって、母が最近掛け軸を知り合いに譲ったと電話で報告してきたんですよ! まだ捨てていなかったのか!......と、思わず叫んでしまいました。そうしたら、母が、掛け軸を譲った知人はすぐにオークションに出したようだと言ったんです」
「《朱い塚》に載っている偽の《枕返しの幽霊》は、その掛け軸ではないようですよ。時期が合わないので」
「......じゃあ、誰が買ったんだろう?」

 今もどこかで、同じ絵が売りに出されているかもしれない。

 それは、大雄寺の《枕返しの幽霊》と酷似した絵柄で、画面の右下の方に《應挙》という款記がある、一見、古びた掛け軸だ。

 円山応挙も《應挙》という款記や落款を用いていたが、《枕返しの幽霊》を描いたのは古抑園鶯居。しかも肉筆風に見えるが、実は印刷。そんなあからさまな贋物なのに凶事を連れてくる――お歯黒の女にご用心。(川奈まり子の奇譚蒐集・連載【二一】)

【以下(※1)~(※3)は前編に印を入れましたが、後編の内容にも関わる部分があるため、補遺として再掲します】
(※1)「お雪の幻」を含む応挙の代表作三幅の幽霊は幻想的で儚く、美しい。アメリカのバークレー校が所蔵している円山応挙の幽霊画には「お雪の幻」という画題が描き込まれており、由緒書きも付いている。それによると、お雪は若くして亡くなった応挙の愛妾で、死して後、幾晩も応挙の夢枕に立った。そこで応挙は悲しみつつ、生前のお雪の面影を画布の上に留めたということだ。

(※2)田中圭子著『うらめしい絵 日本美術に見る怨恨の競演』p15-p16を参照
この他に、小松和彦編『怪異の民俗学6 幽霊』、東京藝術大学大学美術館編『うらめしや~、冥途のみやげ』展カタログ、女子美術大学芸術学部芸術学科...松尾妙子・面出和子『眼鏡絵 の視点について』(https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsgs1967/37/Supplement1/37_Supplement1_65/_pdf/-char/ja)、曹洞宗黒羽山大雄寺ホームページより倉澤良裕「一口法話...幽霊とお化けの違い(茶筅供養から)」、宮本幸枝・門賀未央子著・東雅夫監修『日本魔界伝説地図』、黒猫の究美 -浮世絵談義 虎之巻-「応挙の幽霊画。虚実一体型の反魂香図」(https://blogs.yahoo.co.jp/mishima_doo/19504473.html
等、多くの資料を参照しました。

(※3)今回、《朱い塚》の管理人・塚本守さんにご協力を賜りました。
《朱い塚》https://www.youtube.com/watch?v=-cuiP6Ljtko&feature=youtu.be
《應挙》の款記と落款が確認できる塚本さん所蔵の『枕返しの幽霊』の映像はコチラ→https://www.youtube.com/watch?v=-cuiP6Ljtko&feature=youtu.be
この絵にまつわる本当にあった怖い話『幽霊の掛け軸』http://scary.jp/kowai/1/7.php

あわせて読む怖い読み物:オバケの棲む家(前編) 「誰かが二階から降りてくる!」|川奈まり子の奇譚蒐集十八

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