拷問! PCなき平成初期の雑誌作り 誰もが興奮した紙メディアはこうして作られていた(私が編集したページ付き)|中川淳一郎

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他の編集部はすべて「データ入稿」だったため、大日本印刷に編集者は行く必要がなかった。2週間に2晩、市ヶ谷まで行くのは正直キツかったが、編集長曰く「写植入稿の方が味わい深い」とのこと。さらに「デザインが自由」とも言っていた。

今やネットに原稿を入れる時代になっただけに、あの頃、細かいデザインにこだわりまくり、いかにアホなレイアウトができるかに血眼になっていた時代を思い出す。(文◎中川淳一郎 連載『俺の平成史』)

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