勝手に他人をかわいそうな人にしてしまう癖|成宮アイコ

勝手にかわいそうなストーリーを他人にあてはめてしまう

寒くなる時期に思い出すのは、大きな鍋で煮込まれたおしょうゆの匂い。

まだ幼いころのお話しです。

お母さんに連れられていったスーパーの駐車場に、玉こんにゃくの屋台が出ていました。冬が近づくとやってくるその屋台は、家では見たことがないような大きな両手鍋からグツグツと白いゆげを立ち上らせていて、子どもながらにおいしそうだなと思ったものです。

ただよう匂いに誘われて、「食べたい」とねだってたびたびそれを買ってもらっていました。わりばしに4つくらいささった玉こんにゃくはよく煮込まれてすっかり茶色、熱々のままかじるとなぜだか歯がヒンヤリと感じて不思議だったことをよく覚えています。

いつものように玉こんにゃくを買ってもらい、ほくほくとした気持ちで車の中で食べていたら、目の前をひとりのおじさんが通り過ぎていくのが見えました。その手にはわたしとおなじくこんにゃくがささったわりばし。

だんだんと脳みそが回転していきます。わたしはお母さんと一緒に食べているけれど、あのおじいさんはひとり。わたしは暖房のついた車の中にいるけれども、あのおじいさんは寒い中を歩いている。どうしよう、寂しいと思っているかもしれない。わたしが一緒に食べてあげたい。歯がヒンヤリ感じることを子どもの特権でおもしろおかしくふざけながらびっくりしたところを見せてあげたい。そして笑ってほしい。さみしくなくいてほしい。

まったくばかげた考えだというのは、当時も気がついていました。だって、その人はひとりで歩くのが好きかもしれませんし、家に誰かが待っているかもしれない、もしくは、忙しい中でやっと家までの帰り道のひとりの時間を楽しんでいるかもしれません。そもそも、ひとりでいるとさみしいなんて決めつけはもってのほか、わたし自身ひとりっこなのでひとりでいる時間が大好きです。

それは十分わかっているはずなのに、あのおじいさんのことが気になってしかたがありません。

 

参考記事:人の話がちゃんと聞けない。何度姿勢を正しても、気づくと違うことを考えて壁のシミを見ている|成宮アイコ | TABLO