勝手に他人をかわいそうな人にしてしまう癖|成宮アイコ

今になって考えてみれば、育った家は家族団らんがなかったので自分こそさみしいじゃないかと思うのですが、当時はそれに気づきもしなかったのです。それに、一緒に食べてあげたいなんて、自分が一緒にいたからなんだっていうお話ですし、おじいさんにとってみたら勝手にさみしそうな人にされていい迷惑です。

わたしは当時、人と話すことが苦手で(今もわりと苦手ですが)休み時間にひとりでいると思われたくなくて読書に熱中している人の役を演じていたのですが、自分は勝手に他人に悲しいストーリーをあてはめてしまうくせに、自分自身はかわいそうな人と思われることが恥ずかしかったのかもしれません。

こんな、余計な空想にたびたび苦しめられます。

自分で悲しいストーリーにしてしまう癖

こういった気持ちは、ときどき自分自身に向かって発生することもあります。

たとえば、お風呂から出て髪をかわかしているとき。前髪が左に曲がってしまうことにイライラしてドライヤーで何度も伸ばしていると、ふと例の気持ちが湧き出てきました。

「自分のくせに、クシつきのドライヤーなんてつかっちゃって」

「自分のくせに、マイナスイオンをONにしちゃって」

「自分のくせに、髪型とか気にしちゃって」

髪を乾かす。なんてことないただの日常です。それなのになぜだか急に、自分がかわいそうなような、いじらしいような、どうしてあげたらいいのかわからない状態がやってくることがあります。自分をどうしてあげたらいいかわからない、自分は自分だから自分に声をかけてあげることも一緒にいてあげることもできない。でもなんだかかわいそう。自分だからなんだっていうんだ、自分のくせに、自分のくせに、自分のくせにーーーー。

ハッと鏡を見ると、ドライヤーを持ったまま呆然と立っている自分がうつっています。深呼吸をして、「なんでもない、なんでもない、ただの毎日のこと」と頭の中で念仏でもとなえるかのように繰り返して、「なんでもない」という言葉以外のことを考えてしまわないように制御します。

そう、なんでもないこと、ドライヤーで髪をかわかすなんてなんでもないこと。

 

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