憑き物 「目の前に突きつけられたスマホの画面を見て聡子さんは目を剥いて絶叫してしまった!」|川奈まり子の奇譚蒐集三六

 

広隆寺で、彼に頼まれた通りに写真を撮りはじめた。朝9時の拝観開始直後だったせいか、連休初日にしては境内がまだ空いていた。これから次第に混んでくるのだろう。

今のうちに、と、せっせとスマホであちこち写していたら、美和が話しかけてきた。

「見えない人って凄いもんやね。昔見た景色を全部、まるで映画か写真集みたいに細かいところまで頭の中で再生できるなんてな。だけど景色ばっかりじゃつまらないやろ? ママが写っとらんと、彼氏はガッカリするんやないの? だって、恋人やもん」

美和は成人してからも聡子さんのことを「ママ」と呼ぶ。聡子さんは、娘に自分のスマホを手渡した。

「確かにそうや。じゃあ、撮って。桂子ネエとかあちゃんも一緒に写ろ」

「なんで? あんたの彼氏のための写真を、あんたが解説するんやさかい、かあちゃんと私は余計や」

姉と母に後ずさりされてしまったので、聡子さんは仕方なく、自分のスマホで撮る分については独りで写ることにした。

そこは、国宝第一号の弥勒菩薩半跏思惟像をはじめとする仏像を収めた新霊宝殿の前だった。4人で中に入り、仏像を拝観してきたばかりである。

1982年に新設された建物だが、苔むした前庭が美しい。建物の一部と池が同時に画面に入るアングルで撮ってもらえるように、聡子さんは美和さんを誘導した。

運好く、朝からの気まぐれな時雨が今は止んでいる。

「ほな、撮るで。ハイ、チーズ!」

聡子さんは笑顔を作り、写真に収まった。ここは1枚で充分だ。聡子さんは「ありがと」と言って、スマホを返してもらうために、美和に近づこうとした。

すると、「ちょい待ち!」と美和に制止された。

「ママ単独の写真を、私も1枚欲しいねん。そのまま、そのまま!」

聡子さんは「なんや照れるわ」と返し、実際ちょっと照れ臭かったので、まずは娘からスマホを受け取った。

しかし、「いいやろ?」と、尚も乞われたら、大人になった娘にまだ慕われていることがじんわりと染みるように嬉しくなってきた。

そこで、いそいそと元の位置に戻ってポーズを取り直した。

美和は自分のスマホで聡子さんを、ワンショットだけ、撮った。

 

娘の様子が、おかしい……

 

広隆寺の駐車場に車を停めたまま、映画村へ行った。東映太秦映画村と広隆寺とは、隣接しているのである。

「ママたちは忘れとるかもしれんけどな、私は中高のとき1回ずつ、どっちも学校で来とるんよ? つい、こないだやで! まあ、ええけど」

「何年も前やん!」と桂子が美和に笑いながら言った。「そないなこと言うたら、おばちゃんだって、こんなとこ何べんも来とる。……デートでな! つい昨日のことやった、ような気がする」

母が呆れて「嘘もほどほどにしとき」と姉をたしなめ、全員、笑いが止まらなくなった。

……と、同時に、聡子さんは、なぜ自分は太秦にも広隆寺にも来たことがなかったのだろうかと訝しく感じた。

考えてみれば、大阪で育った人間には珍しいのではないか?

京都は、近い。遠足か、社会科見学か、そうでなければ修学旅行などで、大人になる前に訪ねる機会があったはず。

――熱を出して学校行事を幾つか休んだことがある。私だけ、行きそびれたんやな。

「どっちも、ええとこやん。さっきの広隆寺な、流石や、思たわ」

「ママは、ほんまに太秦は初めてなんやね。なら、映画村も楽しいかもしれへん」

事実、聡子さんは映画村を思い切り楽しんだ。

母と姉も、童心に帰ってはしゃいでいた。

反対に、娘の美和は、途中からなぜか急に口数が減った。

あまりに静かだから気になって、娘の行動をそれとなく観察したところ、しょっちゅうスマホを覗いて、沈んだ顔で何か考え込むふうだった。

映画村の入り口までは、明るく、愉快そうにしていたのだ。

思えば、美和は現代っ子らしく、日に何度も、インターネットで繋がった誰彼とスマホで交流している。もしかするとSNSで悪口を書かれたのかもしれない、と、心配になった。