憑き物(後編) 帰宅するなり娘の美和に激しく吠えだした愛犬 そして想像を絶する恐ろしい現象が起きた|川奈まり子の奇譚蒐集三七

奥之院の参道沿いには、歴史に名を刻んだ武将の墓所や墓碑、各時代のさまざまな供養碑が2万基以上あるという。

墓碑、供碑があると言っても、辺りには陰ではなく穏やかな陽の気が漂っていて、豊臣家や織田信長の墓所や上杉謙信・景勝の霊廟、弘法大師の石像の前では、明るい顔で記念撮影をしている人々が見受けられた。

中の橋は参道のほぼ中間地点にあり、平安時代にはこの下を流れる川で禊をした後、向こう岸へ渡ったそうで、手水橋と名付けられている。

聡子さんは一の橋からここに来るまでに、いくつか写真を撮っていた。もう美和に自分を撮らせるつもりはなかったが、美和の方からも撮らせろとは言ってこない。その代わり、中の橋を渡ると、母が全員そろった記念写真が欲しいと言い出した。

「もうじき5時や。日があるうちに4人並んだやつを撮ってもらおう。次の橋から向こうは写真撮影禁止やねんから、今のうちや」

それを聞いて、姉が「駐車場代が大変や」と、ぼやいた。

一の橋のそばに8台しか停められない有料駐車場があったが、最初はそこではなく、中の橋の近くにある無料の大型駐車場に車を停めるつもりでいた。

ガソリンスタンドを出る前に、みんなで話し合って決めたことだった。

ところが、一の橋の駐車場の前に差し掛かったとき、1台の車がそこから今しも出ようとするのが見えた……と、思ったら、桂子がそっちへハンドルを切っていたのだ。

そして、慌てて止めようとすると、「やっぱ、一の橋んとこから全部歩いた方がええんちゃう? モータープール代は、うちが持つよ」と言ったのだ。

「……何よ? 聡子ちゃん。今さらいちゃもんつけんなって顔しとん。せやけど、美和の解説やあんたの話を聞いて、中の橋からじゃ、お大師さまに出迎えてもらえへんのやないかと思ったねん。中の橋ん方から一の橋まで1キロも歩いて戻らせたら、かあちゃんにはキツイだろうし」

それを聞いて、生来、細かいことは気にしない性質で、今回もまるで平気そうにしていると思った姉も、それなりに懸念していたことがわかった。母が疲れたそぶりを見せないのも、御廟橋まで渡りおおせて穢れを祓うべきだと信じているからこそ、なのかもしれない。

――何考えとんのやら、わからんのは、美和だけや。

 

御廟橋も無事に渡り、弘法大師御廟の拝殿・燈籠堂で祈りを捧げた。

燈籠堂には無数とも思える献灯が天井から下がり、柔らかな光で堂内を照らしていた。その中には「消えずの火」や「貧女の一燈」があるとのこと。前者は、白河上皇が献じて以来、千年余りも燃えつづけている奇跡の炎であり、後者は、貧しい少女が養父母の菩提を高野山で弔うために自らの黒髪を売って購った燈籠だ言い伝えられている。

最後に、燈籠堂の裏にある、弘法大師御廟をお参りした。弘法大師は入定して即身仏となってからも、この御廟の地下で瞑想しており、地上への出入りも自由になさっているそうだ。

御廟に入ることは出来ないので、他の参拝客と一緒に、建物の外で手を合わせて拝んだ。

それから来た道を駐車場まで戻り、再び車に乗り込んで予約した宿坊へ向かったのだが、宿坊のある寺院に到着したとき、聡子さんは、だいぶ前から娘の声を聞いていないことに気がついた。

どうやら、口をきいていないのは聡子さんに対してだけではなく、奥之院の途中から、母や姉とも会話していなかったようだ。

宿坊の座敷に落ち着くと、ポツポツと喋るようになったが、いつもより口数が少なく、顔つきも沈んでいる。