「六本木フラワー事件」について 元関東連合幹部・石元太一服役囚からの手紙を公開します(前編)

久富木検事「(Kと)もめていたことは知っていましたか」
百井「はい」
久富木検事「誰がもめていたんですか」
百井「今回の僕からすると4つ上の先輩の世代がもめていると思っていました」
久富木検事「4つ上というと、見立の世代ということですね」
百井「はい」
久富木検事「そうすると、見立と國田と小池の世代が」
百井「もめていると認識していました」

検察としてはどうにか私の名前を出させたく、このような質問をしたのだと思いますがも、見立達より下の世代は皆百井と同じような認識でいるのが事実です。
ただ、見立達の世代もそこまで事件の究明に拘泥していたのかというと、実際はそうでもなかったようです。なぜなら、小池が私の裁判員裁判時にこのように証言したからです。

和田弁護士「Kさん(註・手紙では実名。西新宿撲殺事件の被害者)が襲われた事件がありましたよね。平成20年3月16日ですね」
小池「はい」
和田弁護士「その後なんですけど、その後、あなたご自身は、そのK兄弟(註・手紙では実名。対立グループのリーダー)に対してどう思っていましたか」
小池「殺された件に関してですか」
和田弁護士「そうです」
小池「犯人だと思いました」
和田弁護士「それで、そのあなたが犯人だと思われるK兄弟グループに対して、復讐しようと思いましたか」
小池「許せないと思いました」
和田弁護士「その許せない気持ちは、その後、時間が経つにつれてどうなりましたか」
小池「薄くなってきました」
和田弁護士「あなたの警察での取り調べのときにも、ほかの仕事がうまくいったりして時間が経つにつれ、その許せないという気持ちはだんだんと少なくなっていったと、そう述べておられますよね」
小池「はい」
和田弁護士「それは平成24年9月時点にではどうでしたか」
小池「もう一度お願いします」
和田弁護士「そのKさんが殺されたのはK兄弟グループの手によるものだと、そう理解しているわけですよね」
小池「はい」
和田弁護士「その平成24年9月2日時点で、Kさんを殺した犯人に対する気持ち、積極的に襲撃しようという気持ちをあなたは持っていましたか」
小池「どちらかというと、みんなもう話題に、話題にっていう言い方は失礼ですが、ちょっとずつ過去のものになったので、私を含めてみんなそういう気持ちは薄れていたと思います」
和田弁護士「平成24年当時は、あなたは石元さんとはあまり付き合いがなくて、年1~2回会うかどうかという程度でしたね」
小池「はい」
和田弁護士「そのときに、石元さんが会うたびに、Kさんの話を話題にすることはありましたか」
小池「ないです」
和田弁護士「見立さんはそのKさんの死に対して、特別な思い入れがあったんですかね」
小池「多少責任を感じてたりとか、個人的に、石元とかには付き合いないでしょうけど、見立は特に仲良かったと思います」