病原菌の国・東京から田舎へお盆帰省した話 義母の開口一番「東京差別ギャグ」に動揺 コロナ禍に見た地方の人々の真の姿|春山有子
いざ、東京から東海某県へ
さて、あらためて気を引き締めた我々は、夜が明けたばかりの8日早朝、いざ東海某県へ。首都高を抜けると、たしかに東京ナンバーが少ないような気がします。柏に奈良など、無傾向にバラバラ。途中のSAでも仲間の練馬ナンバーは1台も見つけられず、ちらほら足立ナンバー、多摩ナンバーがある程度。さらに東海某県に入ると、見事に同県のナンバーにしか会いません。まあ例年の帰省時もそうなのかもしれませんが。
実家への電車の出発時刻までは、近辺の有名観光地を散策。路駐した車から降り、おだんごを買いテラス席で食べても「これも食べやあ。サービスやで」「スプーンいるやらあ? みたらしすくってな」と、ものすごい親切にしてくれる。あっったか〜……。
そして電車に30分揺られ実家に到着すると、義母が駅まで来てくれていました。もちろん、マスク姿。そして開口一番、
「車にペンキ塗られんかったか?(笑)」
と、東京差別ジョークをかましてきます。さらにビビっているはずの義父も同席し、義弟一家も来てくれており(義兄は不在)、お互いの心身の健康状態を確かめ合うことができました。電車の時間になると総出でホームまでお見送り。電車がトンネルに入り見えなくなるまで、手を振り続けてくれたのです。あっったか〜……。
「いやー、みんな優しいねえ。帰省してよかったねえ」
宿への車中、夫に言うと、実は義父が、いつになく真剣な表情でこんなことを漏らしていたと教えてくれました。
「だいぶ最初の頃、X市で夫婦が感染して死んでしまったんや。夫婦は感染後に人の多い場所に出歩いていたとかで、その家の娘がずいぶんな中傷にあったらしいんや。で、娘さん、自殺したらしいぞ。だからうちも、コロナが出たら引っ越さなあかんのや」