都市伝説拡散の背景にヤンキー文化 最恐都市伝説『犬鳴村』の前にあった『地図から消えた村・杉沢村』の真実|久田将義

『犬鳴村』伝説が広まった理由とは

写真はイメージです。

皆さんは九州にある“最恐の村”と恐れられている「犬鳴村」をご存知でしょうか。映画化までされたこの犬鳴村、実は20年くらい前から騒がれていた都市伝説です。昔からの識者は当然、犬鳴村伝説は知っている訳ですが、最近知ったという方もいるかと思います。

そういった方の為に、まず犬鳴村伝説にはエピソードをざっとまとめると、

・九州北部に犬鳴村という村がある
・村の入り口には「この先、日本国憲法は通じません」という看板がある

それを無視して入ると村人が襲ってくる

といったものです。詳しいエピソードを掲載するとキリがないのでこのくらいで良いでしょう。というよりも、これだけでも「日本にこんな村があったのか」という驚きにかられます。

「本当にあるのなら面白い」。伝説が広がった当時、2000年前半、ライター達はこのネット情報の真偽を確かめにいきました。結論から言うと、この犬鳴村は存在せず、まさに都市伝説だった訳です。なぜこのような都市伝説が生まれたのでしょうか。

まず当時の状況を振り返ってみます。僕は当時ミリオン出版に勤務しており、『実話ナックルズ』という月刊誌の編集長でした。その前は『ダークサイドJAPAN』という雑誌の編集長で、その頃から廃墟や都市伝説について掲載していたので、「犬鳴村」についても当然、ライターさんに取材に行ってもらいました。振り返ってみると、時期的に都市伝説が誕生するファクトがいくつか存在していました。

2000年前後の都市伝説は識者たちが指摘しているようにネットを媒介として広がっていきました。元祖都市伝説「口裂き女」とは様相が違うような気がします。ネットとは、具体的には2ch(現・5ch)です。ちなみに2ch誕生以前は「あめぞう」が噂好きの人が好んで閲覧されていました。

都市伝説の拡散に2chやSNSの存在は、欠かせないファクタです。それは口裂き女時代と異なり、映像が貼り付けて拡散されるからです。真実性が増します。

また当時、映画『ブレアウイッチプロジェクト』がヒットしていました。三人の学生が「魔女に滅ぼされた村」跡を探しに行くという態のモキュメンタリーです。この村は日本語に意訳すると「地図から消えた村」と言って良いでしょう。「地図から消えた村」。このネーミングが何かしら日本人の郷愁感を抱かせと思われます。当時は、ロマンのようなものを感じた人は多かったと思います。

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