追悼・宅八郎氏というトラウマ 「僕は宅さんとモメて十二指腸潰瘍になりました」

宅氏の言うとおり追加取材をするか、金井氏の言うとおり反論を載せるか、です。ただ、一度、宅さんに「金井さんを説得してみます」と言ってしまった手前、再度金井氏に”追加取材”のお願いをせざるをえなかったわけです。

しかし答えはノー。再び、宅氏にメール。その時、さすがだなと思ったのは宅氏は論客としての才能を駆使して、一度僕が金井氏を説得すると言ったことをついてきました。僕にとっては痛い点です。なぜ最初に反論権を持ち出さなかったのでしょう。悔やまれます。しかし、軌道修正をせざるを得ません。原則論を僕は通そうと思いました。やはり金井氏の反論権を守ろうと。

そして何よりつらかったのが、宅氏に対して疑問点がわいてきたことです。僕の編集者としての不手際は認めます。
しかし、読者の皆さんも自分に身を置き換えて考えてほしいのです。ある公の媒体で少しでも自分のことを書かれた場合、それに対して間違っている点があれば反論したくなるというのが普通ではないでしょうか。
僕は前記したように「言論の自由とは何を書いてもいい。ただし何を反論されてもいい」という思いがあります。
そして、そのことをメールで宅氏に送りました。

「宅さんの言葉を伝えるとは言いましたが、追加取材を認めたわけではありません。だから、金井さんの反論を掲載するつもりです。金井さんには反論権があります」

ただ、そういったやりとりをしているうちに、僕自身、出版業界における筋を通しているつもりなのに、「僕のしていることは、間違っているのではないか」というパラノイアックな心境に陥ってしまったのです。そしてとうとう、車の運転中も胃のあたりに痛みが走り、路肩に止めて休まなければならない状況になってしまいました。

たまらずにある人に事情を説明しました。

すると「それは君が正しい。どんな小さなことでも反論する権利はある。だから、反論を載せる。それに対してまた反論をする。それを何回か続ける。回数は編集権で設定する。どちらが正しいのか、どんな感想を持つのは読者の判断に任せるべきだ」と言いました。

全く僕もその通りだと思い、また宅氏にメールします。その頃、僕は完全に開き直っていました。腹をくくりました。これ以上、この人とかかわることは無理だと思い、また、なぜこの人が編集者、ライターから離れていくのかわかる気がしたのです。

最後のメールは絶縁宣言です。もうどうなっても良い、と。「色々ご迷惑をおかけしましたが(中略)今後どんな形であれ、あなたとお付き合いする気はありません」という内容を送信。もう関係ない。何言われても何をやられても受けて立つという気持ちでした。

何より十二指腸潰瘍が悪化していましたし、ゴールデン街のバーでグチをこぼした際、元『噂の真相』岡留安則編集長から「僕も胃をやられた。気をつけないと」と言われましたがその言葉を体感したというわけです。岡留さんのような剛腹な編集者が胃潰瘍をやられたのですから、僕みたいなペーペーはひとたまりもなかったです。

結局金井氏の原稿は1ページで掲載しました。反論権を守った事になります。

それはいいのですが、金井氏自身、腰が引けて「あくまで反論というタイトルはつけないで」と強調したのはガクっときました。

よほど宅氏が恐かったのでしょうが、では反論以外の何を載せるというのでしょう。まさか感想?  反論でないのなら書く意味がないではないかと思いますし、僕が宅氏と交渉してきたのは何だったのかとこれまた不信感を抱きました。

なのでおかしな「反論」が掲載することになりました。あ、反論ではないのか。では何で載せろと言ったのでしょうかね。

が、とにかく僕なりに未熟ながら「筋を通した」つもりでした。クレームで十二指腸潰瘍になったのはこのケースだけで、宅氏とかかわることの恐れをいまでも抱いています。(「トラブル」なうより再録・加筆)

※宅八郎氏の訃報を受けて再掲載しました。宅さんのご冥福をお祈り申しあげます。

文◎久田将義