第一次被害で人命が失われていたかも知れなかった福島第一原発事故 「自分の呼吸音と周囲のアラーム音しかなかった」(爆発から逃げる作業員)
久田:よくそこで犠牲者出なかったですね。
マサ:出なかったですねぇ。
久田:出てもおかしくはなかった?
マサ:そのときにみんな外に出てた状況だったら、みんなガレキに当たってました。でも、たまたま中にいたので。
久田:それはいま思い返せば、「命拾ったな」みたいな感覚ですか?
マサ:「拾ったな」ですよ、ホントに。あのときはタイミング的には自分の仕事は終わってたんで。車でそこまで来てたんで、戻ろうと思ってたんですよ。でも中でやってる人間がまだ終わってなかったんで、様子見に戻ったんですよ。それで助かったんです。
久田:同僚のかたもみなさん同じような感じだったんでしょうかね、九死に一生じゃないですけど。
マサ:逆に外に出てたほうが線量が高いんで、建屋の中にいたほうが線量が低いんで、待つなら中で待ってたほうがいいんです。だから終わっても中で待ってて。みんなが終わったら出ようねと待ってたんです。それで助かったんです。
久田:ホントにギリギリですよね。
マサ:ギリギリです。
久田:爆発がすごいって聞いたんですよ。飛び散った瓦礫が突き刺さってるし、みたいな。
マサ:だから乗ってきた車は3台全部グチャグチャですね。屋根はつぶれてるし。
久田:当たったらホント死んじゃいますね。
マサ:死にますよ。ドーンといったあとに、外が見えるじゃないですか。そこが一瞬ブワーッとすごいホコリだったんだけど、そのとき風がけっこう吹いてたんで。そのときにうちの会社の人間じゃないんだけど、放射線管理やってる人間もいて、「いま出ちゃダメ」って言われて。で、煙がうわっと風でなくなったときに、「今だったら行けるから」って言われて、それでみんなで一斉に逃げたんです。
「命拾った」。これが本音でしょう。放射線のことばかり注目していますが、実は「飛行機が落ちても壊れない」と作業員に豪語していた福島第一原発の建屋は地震と津波と水素爆発によってボロボロになったしまいました。その中、放射線ではない事故によって人命がさらされていようとした事実は残しておかなければならないでしょう。(インタビュアー@奥山俊宏(朝日新聞編集委員) 文・写真@久田将義)
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