親黙り、子黙り 「4歳児ぐらいの大きさの真っ黒な物体」|川奈まり子の奇譚蒐集二六(下)

「店のおばさんに言われたとおりでした。宿からいちばん近い商店なんですね。翔琉は何も気づかなかったようですが、隼人は明らかに奇妙なことが起きたのだと理解していて、部屋に入る直前まで僕と手を繋いでいました。5歳くらいまではよく手を繋いで歩いていましたけど、その頃には隼人の方から手を繋ぎたがることはなくなっていたのに。よっぽど不安だったんでしょう。部屋に入ってからも、僕や正美にいつもより甘えたがるようすでした」

その夜は9時半頃に息子たちを寝かしつけたのだが、隼人さんは独りで簡易ベッドを使いたがらず、玄関に近い祥吾さんのベッドで一緒に寝たがった。
添い寝してやると隼人さんは数分で眠りに落ちた。翔琉さんもすぐにぐっすりと眠ったので、夫婦で黙ってテーブルの方へ移動して、さっき商店で買ってきたワインを飲みはじめた。

正美さんは、「狸に化かされたのかな」と祥吾さんに言った。
「だって昨日から変なことが続いてるじゃない? あの男の子が狸だとしたら全部説明がつく……わけがないよね」
「僕は海から何か連れてきちゃったんじゃないかと思う。もったいないけど、夜光虫のときの写真データは削除しようよ」

正美さんが了解したので、その場でデジカメを操作して夜光虫見物のときの写真を全部消してしまった。

そうするうちに、バーベキューのときの写真に少年が写り込んでいたことも祥吾さんは思い出して、正美さんにデジカメの液晶でその写真を示しながら、「これも削除していいかな?」と訊ねた。

すると正美さんは液晶の画面をしげしげと観察して、眉をひそめた。
「こんな顔だったかしら」
「無表情で怖い顔してるだろ?」
「え? 無表情って? 笑ってるよ?」
驚いて液晶を覗き込むと、少年が歯を見せて笑っていた。おまけに、真正面を向いている。斜め横顔だったはずが。祥吾さんはワッと叫んで、咄嗟にその写真を削除した。

途端に、中庭の玉砂利を踏む音がして、すぐに玄関が静かにノックされた。

トントン……トントン……。

何度かドアが叩かれたが正美さんも祥吾さんも目を見交わしたまま凍りつき、訪問者が立ち去るのを待った。

ややあって、再び玉砂利を踏んで歩く音が始まった。玄関側の壁沿いに、行ったり来たりしているようだった。

「その夜は、これだけでした。足音も、しばらくすると聞こえなくなりましたし。でも翌日の夜はこれがもっとエスカレートしたんですよ」

3泊目の夜は7時半頃から家族全員でテレビを見ていた。8時になる前から中庭を誰かが歩きまわっているようだったが、子どもたちは番組に夢中で、それにまた、まだ他の部屋の客が出入りする時刻でもあったので、誰も気に留めていなかった。

10時近くなり、正美さんが「子どもはもう寝る時間」と言ったときのことだ。

突然、玄関のドアがトントンと叩かれた。

「誰か来た! パパ、誰か来たよ!」

隼人さんに言われたが、昨夜のことが頭をよぎり、夫婦で目交ぜした。ノックは、叩き方こそ大人しいが、執拗に続いている。

「出ないわけにも……」と、ついに正美さんが厭そうに呟いて重い腰をあげた。

玄関のそばで、「どちらさま?」と訊ねる。途端にノックが止み、ジャリッ、ジャリッと玉砂利を踏む足音が始まった。振り向いた正美さんの表情は引き攣っていた。

「……悪戯かもね。さあ、もう寝なさい!」

正美さんは玄関に背を向けて息子らに命令した。「早くトイレに行って!」と。息子たちは素直に従って、寝る準備を始めたのだが、その間も祥吾さんはずっと誰かが玉砂利を踏んで中庭を歩きまわる音を聞いていた。

「パパ、テレビを消して」
――音はずっと続いている。
「消さないとダメかい?」
「何言ってるの? リモコン貸して」
止める間もなく、正美さんがリモコンを取り上げてテレビの電源を落とした。

すると、中庭の方で玉砂利を踏んで歩きまわる足音がひときわ騒がしくなった。ジャリジャリジャリジャリと部屋の前を行ったり来たりしている。

「ママ、お外に誰かいるねぇ」と翔琉さんが正美さんに話しかけた。
「そうね。誰かな? だけど翔琉と隼人はもう寝ないといけないよ」
「……パパ、今日も一緒に寝ていい?」と隼人さんがおずおずと甘えてきたので自分のベッドに入れてやってから、祥吾さんは戸締りを確認した。

「ドアの鍵が掛かっているか確かめて、チェーンを掛けました。窓も全部ロックして、電気を消したら……コツッと窓に小石が当たるような音がしました。1回音がして、窓の方を振り向いたら、またコツッと来て、それから立て続けに5、6回も鳴ったので、内心ビビりながら、『ちょっと見てくるよ』と家族に言って、玄関から出てみました。でも誰もいませんでした。なのに、中に戻ってドアを閉めたらまたジャリジャリと歩く音が聞こえてくるじゃありませんか! そこでもう1回、外を覗いてみたんですよ。するとやっぱり誰もいないし、足音も止んでいる……」

「パパ、もう止めて! もう確かめなくていいよ! 隼人が怖がってる」
「そうだね。……ごめんね、隼人」

ベッドに入ると、間もなくうつらうつらとしてきた。それからもジャリジャリという足音や窓に小石がぶつかる音を聞いたような気がしたが、いつの間にやら熟睡していたようで、目が覚めるとすっかり夜が明けていた