親黙り、子黙り 「4歳児ぐらいの大きさの真っ黒な物体」|川奈まり子の奇譚蒐集二六(下)
「旅行から帰ってくると、家の中で子どもの足音がするようになりました。うちの息子たちがいないときでも歩きまわっているので、島から連れてきちゃったんだなと思いました。また、たまに磯の匂いがする水が床に滴っていたり、コツッと窓に小石が当たる音がしたり……。でも、うちの家族はそのことについてひと言も話をしませんでした! 翔琉ですら、怪しい足音や何かのことを、なぜか言わないまま……。1年ぐらいで何も起きなくなって、あれから10年以上経ちますが、どういうわけか、この話はうちではまだしづらい雰囲気なんです」
高橋祥吾さんの体験談は以上である。
偶然とは恐ろしいもので、お話を傾聴するうちにわかったのだが、私も、祥吾さんたちが滞在した宿に家族と一緒に泊まったことがあった。
郷土料理で評判がいい食事処や宿の近くの商店も知っている。もちろん海水浴場も。そして、面白いことには、私たちも同じ場所で夜光虫を見物していたのだ。妖しい少年とは出逢わなかったし、何も不思議なことは起きなかったのだけれど。
実は私は何回も式根島を訪れたことがある。
式根島は伊豆諸島の中にある有人島のひとつだ。伊豆七島という呼び名を耳にしたことがある方が多いと思われるが、それは、江戸時代には伊豆諸島の主な有人島が伊豆大島、利島、新島、神津島、三宅島、御蔵島、八丈島の七つだったことに由来し、その中に式根島の名前はない。
静岡県の伊豆半島沖から太平洋に向かって連なる伊豆諸島は大小さまざまな百余りの島々からなり、大半は無人島だ。式根島にも、明治時代まで定住者はいなかった。
しかし江戸時代には塩田や漁場、風待ちの港として利用されていた他、縄文時代中期の遺跡も存在する。
人の居住が進まなかった理由は、長らく真水の確保に苦労したせいと、土地の狭さに理由があるようだ。式根島は、とても小さい。どのぐらいかというと、面積3.7平方キロメートル、外周約12キロメートルというコンパクトさで、そのため今でも島内には公共の交通機関やタクシーが無い。
私は訪れるといつも貸し自転車を利用していた。海水浴場や天然温泉と宿を行き来するだけなら、前カゴが付いた自転車があれば充分だった――祥吾さんたちも自転車を借りていたので、小さな子どもを連れた家族というのは、条件が揃えば、ほとんど同じ行動を取るものなのだと思った次第だ。
ところで、伊豆七島界隈には《海難法師》という怪談めいた伝承が存在する。島によって多少ストーリーや細部が異なるが、大筋は同じで、海難事故で亡くなった者の幽霊が沖からやってきて、その姿を目にすると命を落とすという一種の怪談だ。この言い伝えに基づいた鎮魂と厄除けの儀式や習慣も存在する。
この《海難法師》の伝説は、実際の出来事が元になっているという説がある。
江戸幕府は八丈島を直轄領にして八丈島の役所に代官(八丈島代官)を置き、この海域の有人島から年貢を徴収していたのだが、無慈悲な取り立てを行う代官に島民たちが苦しめられることが多々あった。
そしてとうとう、寛永5年(1628年)旧暦1月24日(新暦2月28日)、悪代官として島々で恐れられていた豊島忠松(豊島作十郎)が謀殺されるという事件が起きてしまった。
言い伝えられるところによると、伊豆大島の若者25人が結託して、大しけが予想される日に代官を騙して島巡りに連れ出した。そうして、伊豆大島から新島へ向かう海上で代官の船を沈没させたのである。
ここまでは計画通りだったろう。自分らの家族や親戚、知人友人を含む島人たちから感謝されるはずだと信じていたのではあるまいか。まさか、その後どの島の港にも迎え入れてもらえず、大時化の海に追い返されることになるとは思ってもみなかったに違いあるまい。
島の人々は後々お上のお叱りを受けることになるのを恐れて、いざとなると若者たちを見殺しにしたのである。25人の若者は荒れ狂う海をあてどなくさまよううちに、海の藻屑と成り果てた。
彼らの怨霊は《日忌様(ひいみさま)》と呼ばれ、1月24日になると恨みを果たすために島々を巡るのだとされている。伊豆大島の島民たちは鎮魂を願って日忌様の祠を建て、今も大切に祀っているということだ。しかし、殺された悪代官・豊島忠松の幽霊が島々を巡って住人を脅かすのだとする別説もある。また、旧暦の1月24日に伊豆七島の25人と悪代官が死んだわけではなく、もともと旧暦1月24日が伊豆七島では物忌みの日とされ、その日は仕事を休むだけでなく尿瓶を使うほどの徹底ぶりで外に一切出ずに家に籠もる習慣があり、これが巡り巡って《海難法師》の伝説になっていったとする説も存在する。
式根島観光協会のホームページに掲載されている《海難法師》の話では、「その日を親だまり、翌日25日を子だまりと言い、夕方早くから仕事を休み、音も立てないように早々に布団に入り……」と、物忌みの習慣についても触れていた。
――親黙り。子黙り。
家中で息を殺して災厄が通りすぎるのを待つ雰囲気がよく表れているではないか。(川奈まり子の奇譚蒐集・連載【二六・下】)
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