釜ヶ崎のおっちゃんとわたしが終わらせないでいる日常|成宮アイコ

ドヤ街で初めて手に入れたあだ名

これは数年前の終戦記念日翌日の出来事です。

わたしはとある”おっちゃん”がどうしても行きたいと言っていた土地のことを何年も探していました。(そのおっちゃんは「あおさん」と名乗っていて、わたしも「あおさん」と呼んでいるので、今後は表記を「あおさん」とします)

あおさんは、大阪の西成・釜ヶ崎で出会った友人です。初めて会ったときに、「成宮アイコ」というわたしの名前を見たあおさんは、「俺は横文字が苦手だから」と照れながらわたしのことを「あっちゃん」と呼びました。アイコってカタカナで書いているだけで横文字じゃないんだけどな、と思ったのですが、学校にあまり行っていなかったわたしはあだ名の存在に憧れていたので、とにかく初めて手に入れたあだ名がやけに嬉しかったのを覚えています。

毎年、夏になると大阪から東京に遊びに来るあおさんはたびたび、「田無市にあった陸軍自動車学校の跡地について知っている人はいないかな?」と言っていました。ご両親の思い出の土地なのだそうです。

いくどとなくその話題が出るので気になってはいたのですが、検索をしてもなかなか情報が出てきません。わたしの周りの人も聞いたことがなく、あおさんから田無市の話しが出るたびに、夏の心残りとして気持ちのはじがチクチクとしていました。

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