釜ヶ崎のおっちゃんとわたしが終わらせないでいる日常|成宮アイコ

おかんもこの景色を見てたんかいな

そしてまた夏が来ました。

その夏はちょうど戦後70年、国会は安保法制でもめていました。

人々が声をあげるテレビを見ながら、わたしは急に、「この夏のうちにどうしてもあおさんの探している場所見つけて連れて行かねば」と思いました。今年、その場所に一緒に行かなくちゃいけない。なぜかそう思っていてもたってもいられなかったのです。

あおさんは今はまだ元気だけれど、ずっとこのまま想いを聞いているだけじゃ後悔が残ってしまう。そう。切羽詰まったような気持ちになったのです。

今年、絶対に探すから。そう伝えたはいいけれど、結局、あおさんと待ち合わせをする当日になっても、なんの情報も見つからないままでした。とりあえず、わたしたちは田無駅にいくことにしました。駅についたら図書館・お寺・神社の順番に昔の話を聞いてまわることにしよう、と決めて。

田無駅に向かっている電車の中、あおさんは窓の外を眺めながら嬉しそうにつぶやきました。

「おかんもこの景色を見てたんかいな、文字が読めないのにようたどり着いたなぁ。」

その言葉を聞いて、絶対に見つけてあげたいと思ったと同時に、なぜかちょっとだけホームシックになってお母さんのことを思い出しました。

参考記事:DVが生むのは反撃じゃなく自己肯定感のなさ 祖父に暴力されたわたしは他人に暴力をふるわない|成宮アイコ | TABLO