地下で見たもの 「たちまち、黴臭いような饐えた体臭のような、なんとも厭な臭いに包まれた――」|川奈まり子の奇譚蒐集三三

1973年に《東京空襲を記録する会》が編纂した『東京大空襲戦災誌』の1巻には、1945年(昭和20年)3月9日未明から10日にかけて東京の下町を襲った大空襲の被害状況がつぶさに綴られている。

それによれば、空襲で亡くなった大量の遺体を「都内の67ヶ所の公園・寺院・学校などに一週間がかりで仮埋葬」し、中でも現在東京都美術館のある上野公園の敷地内には8400体を仮に埋めたそうである。

東京大空襲では、1日で10万人以上という死者が出た。それに比べ、当時の火葬能力は1日500人程度。そこで犠牲者の亡骸は、大部分が下町の大きな公園に仮埋葬されることになったのだ。

総務省のホームページには、東京大空襲の慰霊碑《哀しみの東京大空襲》の紹介が載っている。

慰霊碑《哀しみの東京大空襲》は、平成17年3月10日に、戦後60年を記念して、初代林家三平の妻で作家の海老名香葉子さんを筆頭とする有志一同によって建立された。

大空襲の直後には、この慰霊碑の周辺も、無惨な遺体で埋め尽くされていたという。

「……翌日からこの上野の山には焦土と化した下町から夥しい数のご遺体が運ばれて来ました。この慰霊碑の付近の道端にも、米俵や筵を掛けられたご遺体が並べられたのです。

やがて、大八車やリヤカーを引いて、ご遺体を引き取りにみえる方もありましたが、多くのご遺体は身元不明のままでした。

そうしたご遺体は、この近くに巨大な穴を掘って、そこに仮埋葬され、二年後に改めて掘り起こされ、荼毘に付されたうえ、本所横網町の震災記念堂にお祀りされました。

無論、こうした東京への空襲はその後も続きました……」(慰霊碑《哀しみの東京大空襲》説明文より抜粋)

 

加藤さんが東京都美術館の地下で見たのは、大空襲で被災した犠牲者の幻だったのだろうか?

いや、彼が誘い込まれた場所はすでに都美術館ではない異空間だったはずだ。

インタビュー後に、都美術館の地下3階について調べてみたが、彼が話したような迷宮じみた構造ではなかった。むしろ地下3階はこの建物の中で最も床面積が狭く、シンプルな造りであって、エレベーターもここまで降りてくるものは1基しかなく、迷子になりようがないと思われた。

長くて幅の狭い、ところどころに横道がある廊下や錆びた鉄の扉などは、存在しなかった。

不思議な女性については、私にも手がかりすら掴めていない。(川奈まり子の奇譚蒐集・連載【三三】)

 

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参考記事:古今蓮華往生 「2人して和やかにの不忍池の蓮の花を見つめたまま、スーッと遠のいていくんです――」|川奈まり子の奇譚蒐集三二 | TABLO