無縁墳墓の祟り 「墓石に刻まれている戒名の数が、祖父が亡くなったときよりも明らかに増えている」|川奈まり子の奇譚蒐集三五

 

両親が話し合って、結局、その日のうちに父が隣の墓所に地蔵を戻しに行くことになった。

祖父が遺した家に集まるのも最後の機会になるかもしれないからと、夕方から親戚一同で寿司の出前を取って会食する予定だった。

しかし幸い、件の都立霊園には閉門時間が設けられていなかったから、解散後でも「大丈夫だ」と父は話していた。

実際、晶子さんの父親は、夜の9時すぎに、地蔵を持ち、乗ってきた自家用車で霊園まで赴いた。

晶子さんたちはタクシーで自宅に戻り、父の帰りを待った。

霊園から自宅までは車で30分ほどの距離だ。でも、父はなかなか帰って来ず、いつもなら子ども部屋に追いやられる11時を過ぎても眠るに眠れず心配していたら、病院から電話が掛かってきた。

父は、霊園からの帰り道で事故を起こし、重傷を負っていたのである。

 

しばらくの間、晶子さんは「おとうさんまで命を取られたらどうしよう」と、そればかりを考えていたそうだ。

「父の容態は、最初の3日間ぐらいは非常に深刻でしたから。おじいちゃんが死に、父までも……と、想像すると恐ろしくてたまりませんでした。

お地蔵さんは隣のお墓に戻されていました。

ええ、母と兄と一緒に、確かめに行ったんですよ。

でも父の快復が遅くて、だから、祖父母のお葬式を頼んだご住職に、母が何か相談したんです。当時の私は子どもだったからわかっていませんでしたが、たぶん除霊を頼んだんじゃないかと思います。

お墓に行って、ご住職にお経をあげてもらいました。兄と母も一緒でした。

その後さらに、お寺の本堂で兄とお説教を聞かされたり、お経を唱えさせられたりしたことを憶えています。

それから、入院している父のためにと言って、たぶん般若心経なんじゃないかと思うのですが、ご住職が母に何かを授けました。母はすぐに、それを数珠と一緒に病院に持っていきました」

 

しかし、それで終わりではなかった。晶子さんは、それから後も約1年に亘ってたびたび悪夢にうなされたのだという。

「墓参りの帰り道に、ふと気づくと、後ろから4、5歳くらいの小さな子がついてきているという夢でした。追い返そうとしても泣きながらついてくるから、だんだん怖くなってきて走って振り切ろうとするんだけど、もう平気だろうと思って振り返るたびに、その子の姿が目に入るんですよ」

朝、目を覚ますと同時に、追いかけてきた子どもの顔や服装は思い出せなくなったが、幼い子だったことは憶えており、夢に出てくるお墓がどんなふうだったかも鮮明に記憶していたとのこと。

「隣に例の無縁墓がある、父方の先祖代々の墓所でした。でも、墓石に刻まれている戒名の数が、祖父が亡くなったときよりも明らかに増えているんです。

……あれは両親と兄と私の戒名なのでは? ずっと後にそう思いついたときには、あらためて鳥肌が立ってしまったものですが……」

 

そして、つい最近、両親と兄も同じ時期にほとんど同じような夢を見ていたことがわかったので、再び両親と兄と共にお寺を訪ねてお経をあげてもらったそうだ。

その直前まで、晶子さんは悪夢のことも、お地蔵さんのことも、ほとんど忘れていた。なにしろあれから30年近い月日が流れている。その間に彼女は大人になり、仕事を持ち、結婚して、子育てをしてきたのだ……。

けれども、今年のお盆に両親や兄と祖父母の墓参りをした際に、隣の墓所が真新しいものに入れ替わっていることに気づいた瞬間、

――あのお地蔵さんは、どこに行ったのだろう?

と、思った。

そして途端に、一挙に古い記憶が頭の中で色鮮やかに蘇った。

それは、晶子さんだけではなかった。

「例の夢の話は、それまで家族にしたことはありませんでした。でも、そのときは自然と口をついて……気づけば喋っていました。すると、兄と母が、まったく同じ夢を何度か見たと言ったんですよ!

そして、みんな、誰にも話したことがないって……。

父もです! 父の夢は少し違っていて、小さな子がお墓からついてきてしまったので、一緒にお墓まで戻って、その子の親を探してあげる夢だったそうです。

でも子どもの親は全然見つからなくて、子どもはそばを離れないし、途方に暮れているうちに目が覚めた……。だけど、この夢を見たのは、入院中の一回だけで、その後は寝る前に必ずお経を唱えるようにしたら見なくなった、と、父は言っていました」