無縁墳墓の祟り 「墓石に刻まれている戒名の数が、祖父が亡くなったときよりも明らかに増えている」|川奈まり子の奇譚蒐集三五

 

晶子さんの体験談は以上だ。

この話を聞いた後、私は問題の地蔵について、少々、推理を試みた。

まず、なぜ彼女たちの悪夢には、小さな子どもが登場したのか?

件の石地蔵は、墓所の出入口付近にあったと晶子さんはおっしゃっていたが、たぶんそれは墓所の出入口の右・内側で、先祖代々の墓石から見ると左端だったのではないかと思う。

というのも、地蔵尊を墓標として墓所に建てる場合、最下座に建立することが推奨されているからだ。

先祖代々の墓石を最上座とすると、最下座は左端で、ほとんどの墓所の場合、そこは出入口の右・内側になる。

尚、墓標ではなく、霊園の出入口に六地蔵を建てることはごく一般的だ。

しかし、件の地蔵には六地蔵に付き物の祠もなく、在ったのは都立霊園内の一区画の中。

だから、これは、その墓の持ち主の家族が、水子またはごく幼くして亡くなった我が子の慰霊のために建てた地蔵尊墓だと見做すべきだと思われるのだ。

また、晶子さんは、この墓所に五輪塔があったとも語っている。

亡き子を供養する地蔵尊墓を建てるときには、必ず先に五輪塔を建立しなければいけないので、完全に作法に叶っている。

今日の地蔵尊墓の多くは小さな墓石に地蔵尊のお姿を浮き彫りにしたものだけれど、丸彫り地蔵と呼ばれるお地蔵さんの石像を置くこともある。

従って、この地蔵は本来は丸彫り地蔵型の地蔵尊墓として、子どもの供養として置かれたものだった可能性が高い。

だから、晶子さんたちが幼い子どもに追いかけられる悪夢を見たのだという推理が成り立つわけである。

もっとも、それだけで、死児が夢の中で幼児の姿を取った理由の説明がつくわけではない。

……いや、よくよく考えてみれば、その点が最大の謎として残ってしまいそうな気がする。

と、言うのも、第一に、墓石としての丸彫り地蔵は、幼児の供養ではなく、もっぱら、死産したり堕胎したりした死せる胎児(一般概念としての水子)を弔うために作られてきたという現実がある。

ましてや、この丸彫り地蔵は当時8歳ぐらいだった晶子さんが簡単に握れる大きさだったという彼女自身の証言もある。

高さ20センチほどだったとも彼女は言っていた。

その大きさから真っ先に思い浮かべるべきは、いわゆる「水子地蔵」なのだ。

全国各地の石材店や仏教寺院が、丸彫り地蔵に「水子地蔵」という名を付けて、個人向けに販売している。

こうした、悪い言い方をすれば水子商法、良く言えば水子信仰は、1970年代から盛んになった。30年前なら余裕で存在していたわけである。

この、個人向け商品の「水子地蔵」は大きくない。

石像の価格は大きさに準じ、また、地蔵尊墓に限らず水子供養の墓はどんな形態であっても他の墓石を超える大きさのものを建てることは禁忌である一方、小さいぶんにはどれほど小さくても構わないとされているので。

手乗りサイズから高さ6、70センチまでさまざまな大きさの商品が売られているものの、石像で売れ筋となると高さ20センチ台に収まるものが多い。

以上のことから、晶子さんたちが見つけたお地蔵さんは、かなり典型的な「水子地蔵」のように思われる。

そうなれば、「なぜ、幼児の格好で夢に出てきたのか?」という新たな疑問が生じてしまうわけである。

 

私は、地蔵の行方についても調べてみた。

その結果、現時点ではピンポイントで指し示すには至らないものの、突き詰めればそれも可能だと確信するところまで辿りついた。

と、自慢するほどのことでもない。簡単だったのだ。