無縁墳墓の祟り 「墓石に刻まれている戒名の数が、祖父が亡くなったときよりも明らかに増えている」|川奈まり子の奇譚蒐集三五

 

都立霊園の無縁墳墓がどう処理されるか、都立青山霊園管理事務所に問い合わせただけなのだから。

その結果、都立青山霊園に限らず、どの都立霊園であっても、霊園に生じた無縁墳墓を東京都の名において改葬する先は、昨今では都立小平霊園と都立八柱霊園の無縁合祠墓所と定まっていることがわかったのだ。

なんでも、かつては都立多磨霊園の無縁合祠墓所にも改葬されていたが、多磨霊園は「満杯」の状態になって久しく、現時点では小平か八柱のいずれかに移されているのだという。

晶子さんのケースでは、隣の墓所が改葬されたのは最近のこと。

だから、小平もしくは八柱の都立霊園に行けば、あのお地蔵さんに再会できるはず。

しかし、これを晶子さんに伝えたところ、「絶対イヤです」と即答されてしまった。

ちょっと残念。でも、まあ……晶子さんとご家族に祟った嬰児の霊が今や安らかに眠っているのだとしたら、寝た子を起こすような真似は慎むべきなんだろうな……。

 

最後に、無縁墳墓の豆知識をご紹介したい。

近年どの霊園でも無縁墳墓は増えるばかりで悩みの種。こういう話を耳にしたことがある方も多いのではなかろうか。

実際、マスコミでは度々、無縁墳墓の増加を社会問題として取り上げている。たとえば昨年、中日新聞にこんな記事が掲載された。

《公営墓地を持つ全国の政令指定都市と県庁所在地など計七十三自治体のうち、管理する縁故者がいなくなった「無縁墓(むえんぼ)」を抱えている自治体が約七割に上ることが、本紙のアンケートで分かった。このうち無縁墓の実数を把握しているのは二十四自治体で、合計は一万六千五百十七基・区画だった》

~2018年2月3日付・中日新聞「公営墓地7割に無縁墓」より

無縁墳墓を「管理する縁故者がいなくなった」墓だと規定したとき、全国の政令指定都市や県庁所在地の約7割が相当数の無縁墳墓を抱えているというのだ。

さらに、状況として「縁故者がいなくなった」事態は、必ずしも縁故者全員が死に絶えたとは限らず、離散した結果であるとも考えられ、事実、人口の流出が止まない地方の郊外や山間部では相当深刻な事態を迎えているという統計調査結果も近頃は発表されている。

たとえば、熊本県人吉市が2013年に市内の全霊園995ヶ所・1万 5,123 基の墓を調査したところ、 実に4 割以上(6,474 基)が無縁墳墓となり、なんと8 割も無縁化している霊園もあったとのこと(※)

一方、東京23区内のような都市部には、今でも新たに墓を求める住民も多く、そのため積極的に改葬措置を取る傾向が見られる。

都立霊園の場合は、管理費等の諸費用の不払いが続き、尚且つ、縁故者に連絡もつかなかった場合、「東京都からのお知らせ」と題する改葬告知の札を当該墓所の前に立てることになっている。

ほとんどの方はご存知だと思うが、永代使用料を払えば無縁墳墓にならないというのは勘違いで、お墓とは、その他に管理費などその他の諸費用が定期的に課せられるものだ。支払いを怠ると、事実上の無縁墳墓と見做されて、最悪、強制改葬もあり得るというわけだ。

都立霊園の改葬告知の立札の冒頭は「墓地整理のため、無縁墳墓等として改葬することとなりましたので」で、改葬を行う方針が明記されている。

一応、墓所の権利者からの連絡を乞うとも書かれているけれど、一年以内に連絡がない場合は東京都として改葬を行うとキッパリと申し渡す内容だ。

うちの近所にある都立青山霊園では、建前上、無縁墳墓が無いことになっているようだが、訪れてみると、この改葬告知の立札を見つけることが出来る。

改葬されるまでの期間限定ではあるが、事実上の無縁墳墓が存在するのだ。

早く改葬したい霊園側の気持ちは理解できる。新しい墓の需要があるというだけでなく、たいがい荒れ果てているから全体の景観に差し障るし、霊園を訪れる人々の心象も悪くなるから。

美しくないだけではなく、不気味に感じられるものだし……。

最高裁では、無縁墳墓は「葬られた死者を弔うべき縁故者がいなくなった墳墓をいう」(1963 年 2 月 22 日最高裁判所第三小法廷決定)と規定されているそうだが、一般的なイメージは、仏教的な「無縁仏」と大きく重なっているように思う。

無縁仏とは、仏との因縁を結んだことがなく此の世にさまよっている霊魂を指す。つまり、供養されたことがないために成仏できないでいる遊魂のことだ。

供養された仏さまがいる無縁墳墓とは、明らかに異なる。

なのに、無縁墳墓は無縁仏と混同されがちで、どういうわけか寂しい雰囲気に満ちて、怪しい印象を振り撒いてしまうのは、なぜだろう?

その原因は、仏さまのご供養を怠っている我々現代人のうしろめたさのせいかもしれない。

それとも、供養されたことがあっても、参る者が誰もいなくなると、霊魂がお墓を通って彼の世から迷い出てきてしまうのか……。

人として善くあるために、いついかなるときでも死者を悼む気持ちを忘れまいと思ってきたが、無縁墳墓を訪ねた場合は特に、敬虔な気持ちを意識して慎重に振る舞うべきなのかもしれない。

さもないと……。

(川奈まり子の奇譚蒐集・連載【三五】)

 

※公益財団法人日本都市センター『都市とガバナンス 第27号』より、第一生命経済研究所ライフデザイン研究本部研究開発室主席研究員・小谷みどり氏の論考「墓地行政について」を参照しました。

 

参考記事:惚れられの夜 「ラブホテルのドアが開いた瞬間、ギャと叫んだような、いや恐ろしくて声も出なかったような…」|川奈まり子の奇譚蒐集三四 | TABLO