赤い樵 「樹齢60年ほどの銀杏の大木を伐採してから起きた恐怖体験」|川奈まり子の奇譚蒐集二八

インターネットでリサーチしたら、この記念碑については園内マップなど表立ったものには標記されていないとする説を多く見かけたが、こうもあっさり見つかると、さて、どうなのだろう……と、思いきや、実際に代々木公園内にある案内板には十四烈士の碑の標示はなかった。

前もって下調べをしておいて正解だったのだ。お陰で迷わず行けた。

行ってみれば、なるほど、滅多に人が訪れない雰囲気ではあった。関係者にしか知られていないのかもしれない。それと、歴史好きな一部の人にしか。

政宗さんが話していたとおりの碑文(血染めの砂を碑の下に納めたという……)の他に、集団自決(自刃)事件の経緯などを説明する碑も建っていた。

《昭和二十年八月二十五日早暁 元代々木練兵場の一角なる此の處に於て 塾長代行影山庄平翁以下十八歳の少年に至る十四名の大東塾々生 古式に則り 一斉に壮烈極りなき割腹自刃を遂げ 以て大東亜線終戦の大難に殉じ 祖国再建の尊き人柱に立つ
十四烈士共同遺書 清く捧ぐる吾等十四柱の皇魂誓つて無窮に皇城を守らむ》(旧字体を改めたが原則的に原文ママ。但し末尾の影山庄平翁辞世歌を省略)

14名の遺体(うち1人は虫の息で発見されたが当夜のうちに死亡)が発見されてから4ヶ月足らず後に、ここは連合軍に接収され、米軍施設・ワシントンハイツの建設用地となった。

進駐軍の米兵とその家族が暮らしたワシントンハイツは、近代的なアメリカの住宅街を再現したもので、集団自決のあった場所は一時は米兵の子弟が遊ぶ庭になっていたらしい。