惚れられの夜 「ラブホテルのドアが開いた瞬間、ギャと叫んだような、いや恐ろしくて声も出なかったような…」|川奈まり子の奇譚蒐集三四

JAFが引き揚げてから30分後、佐々木さんは多摩川沿いの道を車で走っていた。助手席にはAさんがいる。

佐々木さんは軽く動揺していた。出発前にトラブルが続発したせいばかりではない。

Aさんが、佐々木さんの店から車で片道40分もかかる郊外に住んでいることが明らかになったのだ。会社からは近い、だから通うのは負担ではなかった。こうAさんは述べたのだが、このところ毎晩、終電ギリギリに帰っていたことは確かで……。

彼は、初めてAさんのことを重たく感じはじめたのだった。

今の今まで深く考えたこともなかったけれど、もうちょっと軽い、大人のラブゲーム的な付き合いを期待していたのかもしれなかった。佐々木さんは、自然に言葉少なになり、気を紛らわすために音楽を掛けながら車を走らせた。

勝手なことを言うようだが、Aさんにも少し黙っていてほしかった。

けれどもAさんは車に乗せた途端、いつになく饒舌になり、とめどなく話しかけてきた。

それだけなら初めて2人きりになって緊張しているのだろうと思うだけだが、濃い色気を発散させだしたのだった。

「私は、もうそういうつもりだから」などと囁き、しなだれかかってくる。

「まさか真っ直ぐ帰すつもりじゃないですよね? 今日は凄く暑かったですよね。私、早くシャワーが浴びたくてたまらなくて……だから……ね?」

困惑と欲情が胸の裡でせめぎ合う。

そうこうするうち、なぜかBGMに雑音が混ざりはじめた。

――音楽に逃げ込むことも許されないのか!

佐々木さんが思わず苛立って乱暴にBGMを消した、ちょうどそのときAさんが言った。

「この辺に池があるんですよ。ちょっと見に行きません?」

気分転換にちょうどいいかもしれない。Aさんは直感に従うことにして、「へえ。いいね」と答え、彼女の指示通りに車を停めた。