惚れられの夜 「ラブホテルのドアが開いた瞬間、ギャと叫んだような、いや恐ろしくて声も出なかったような…」|川奈まり子の奇譚蒐集三四

突然、変な音が……。

「なんだ?」

「あっ、あれかしら?」

佐々木さんがAさんが指差す方を振り向くと、子熊を模ったぬいぐるみが床に落ちていた。 いわゆるテディベアだが、相当に年季が入っている。佐々木さんのこの店は懐古趣味のインテリアが特徴で、商品として取り扱う雑貨にもアンティークが多い。これも品物のひとつで、棚に飾ってあったのだ。

それが、床に落ちていた。

佐々木さんは少し薄気味悪く感じながらも、黙って元に戻した――彼に聞いたところでは、この程度の軽いポルターガイスト現象は日常茶飯事だからいちいち気にしていられないとのこと。

Aさんも、さして気に留めたようすがなかった。

しかし、「じゃあ、行こうか」と佐々木さんが彼女を店の出入り口へと促したところ、今度はレコード・プレーヤーが勝手に鳴りだした。

いかにアンティーク雑貨が付喪神だらけに違いなく、ちょっとした怪異には慣れているとしても、これには佐々木さんもギョッとさせられた。

慌てて止めに行く……と、照明がいきなり落ちた。

Aさんが小さく悲鳴を上げる。「停電かな?」と佐々木さんは平静を装ったが、出入口のそばにあるシーリングライトのスイッチを手探りで押してみたら点いたので、ますます厭な感じがした。

「とにかく出ましょう」

佐々木さんは、スイッチのそばにいたAさんが誤って肩で押すか何かして消してしまったのだと思おうと努めながら、彼女と連れだって外に出た。

せっかくいい雰囲気になりかけたのに。でも、まだ、これからだ! と、鼓舞する気持ちで、駐車場で自分の車のドアを開錠しようとして、リモコンが効かないことに気がついた。

Aさんに苦笑いしてみせて、手動で車のドアを開けたが、結局、バッテリーがあがっていることが判明してJAFを呼んだのだった。

「いや、恥ずかしいなぁ。これは言い訳に聞こえると思いますが、ライトを消し忘れた覚えはないんですけどねぇ……。すみません。こんなことになっちゃって。どうします? タクシーを呼びましょうか?」

佐々木さんは意気消沈していた。こうまで邪魔が入っては、今夜はあきらめるしかないと思ったのだった。

だからAさんが「一緒に待ちます」と応えてくれたときは嬉しかった。

参考記事:地下で見たもの 「たちまち、黴臭いような饐えた体臭のような、なんとも厭な臭いに包まれた――」|川奈まり子の奇譚蒐集三三 | TABLO