憑きもの体験記1「ガラスに目を走らせると、自分の50センチ後ろに人の気配を放つ陽炎が映っていた」|川奈まり子の奇譚蒐集三八
「あんまり噂をするのはよくないと思うんだけど、特定の神社を守り神にしている会社は少なくないからね」
「じゃあ、この神社は〇〇百貨店さんの守り神?」
「かもしれないっていう話だよ。納期まで半年もあるんだから、そのうち、わかってくるんじゃないの? でもさ、そんなこと別にどうだっていいじゃない? 今回、いつもよりいろいろマシじゃない?」
「たしかに……」
破格の待遇と言ってもよかった。作業期間中の宿として、駅前のビジネスホテルが用意されており、週休2日、平日の昼には弁当が付く。
「ここも、静かで清潔で、広さも申し分ないよね!」
「そうですね」
コンクリの床に寝袋を敷いて仮眠しながら作業したこともある。
仮眠することさえ想定されておらず、休むときは机に突っ伏すしかない、座りっぱなしの作業を乗り越えたことだって。
「とっても、ありがたいです。〇〇百貨店さん、太っ腹すぎますね」
「うん、感謝しかないよ! 彩乃ちゃんと私、ホテルで相部屋だよ。今夜からよろしくね。いびきがうるさかったら起こしてくれていいからね!」
――この先輩が優しい人でよかった。
「ちゃん」づけで呼ばれるのは気になるが、社で最年少なのだから仕方ない。
「今夜は、一緒にホテルに引き揚げようね。きっと夜桜が綺麗だよ」
はい、と、答えながら、先輩の視線をなぞると、庭の桜が磨き込んだ縁側に仄かに白く影を落としていた。
神社の境内のそこかしこに薄紅色の花霞が掛かっている、今はちょうどそんな頃合いなのだった。
川越八幡宮で体験した怪異
――さて、いきなり私が19歳の「彩乃ちゃん」に成り代わって語っているので、戸惑われた読者さんもいらっしゃることだろう。
この体験談の語り手、プログラマーの彩乃さんと私は、去年(2019年)青森県で開かれた怪談会で出逢った。その後、彼女は、私が怪異体験談を募集していると知ってメッセージを送ってくださり、インタビューにも応じていただいた次第である。
彩乃さんは現在40代後半。この話を語るにあたって、「今から30年以上前の出来事になるのですが」と前置きされた。
参考記事:髪女 「浴室の排水口にびっしりと絡まっていた黒くて長い髪の毛の謎」|川奈まり子の奇譚蒐集二九 | TABLO