憑きもの体験記1「ガラスに目を走らせると、自分の50センチ後ろに人の気配を放つ陽炎が映っていた」|川奈まり子の奇譚蒐集三八

恐る恐る振り向くと、後ろの空間に、自分よりも10センチほど背が高い人の格好の歪みが生じている。

歪んだレンズを通したように、空中が、そこだけ人型に切り取られていて、廊下の床板や窓の対面にある襖の桟が曲がって見えた。

しかも、そいつは絶えず、グニャグニャと動いていた。

声も、出なかった。

恐怖という意識もなく、真っ白な意識のまま、ただ反射的に身体だけが動いた。

すぐに横の襖を開けて、廊下用のスリッパを履いたまま、畳敷きの部屋に飛び込んだのだ。

そこには誰もいなかったが、部屋の奥の襖の向こうから人が会話する声が聞こえてきた。そこで無我夢中で走っていって、襖を両手で引き開けたのだが、一瞬遅かった。

後ろから追ってきた陽炎のようなものが、背にぶつかってくるや、みるみる全身に滲み込んできた。と、同時に、グンッと頭の芯が膨らんだかのような異様な感覚を目の奥に覚え、重い頭痛に襲われた。

「どうしたの? 真っ青だよ?」

タナカさんが目の前に立っていた。

咄嗟に混乱した。が、すぐにわけがわかった。作業室から廊下に出て、2回、角を曲がった突き当たりにトイレがある。隣の使っていない部屋を横切って襖を開けたから、ぐるっと回って元の場所に戻ってきたのだ。

「……今、そこで……」

あれを何と言い表したものか。頭痛が酷くて、何も考えられない。

「……頭が痛くて……今日は休んでもいいですか……?」

「うん! 休みな! ひとりでホテルまで行ける? 送ろうか?」

「いえ…そこまでは…」

心配するタナカさんに礼を述べ、チーフに断りを入れて、駅前の宿に帰った。

幸い、毎月、生理痛が重い方だったから鎮痛剤を持ってきていた。寝間着に着替え、服用してベッドに横になると、自分の身体よりもわずかに遅れて、陽炎のようなあいつも横たわるのが感じられた。

――自分は、侵入を許してしまったのだ。逃げられなかった。

重なられている。手を顔の上に掲げて、ためつすがめつしてみた。

指と指の間に、束の間、立ち上る湯気のような揺らぎが見えた。

それはすぐに消えたが、身体の中に隠れただけであることはわかっていた。

ガチガチと奥歯が鳴った。両手で顔を覆って、震えながら泣いた。(2へつづく)

 

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