アメリカ進出に成功した野茂英雄投手がもたらしたもの 国内スポーツメディアの問題点 日本選手だけにフォーカスし過ぎ|中川淳一郎
平成の野球を考えるにあたり、重要だったのは野茂英雄の渡米である。今のように日本人選手が続々と海を渡る先鞭をつけたという意味で実にエポックメイキングだった。1980年代前半のプロ野球選手名鑑を見ると日本 ...
eスポーツ全盛 平成に登場した「ストリートファイターII」 実際に対戦相手同士が殴り合いなった!|中川淳一郎
平成3年に登場したアーケードゲーム『ストリートファイターII』(カプコン)は世界的なヒットをした。その後は『ストリートファイターII’』『ストリートファイターII’ TURBO』、さらには『スーパース ...
コンビニから成人向け雑誌が消えた日 住宅街の自販機でも買えた平成は本格的に終わった|中川淳一郎
コンビニからいわゆるエロ本が撤去される動きが数年前から出ているが、平成の前期にはエロ本の自販機がそこかしこに存在した。エロ本自販機時代末期は近づかなくては表紙が見られないような加工が施されていたが、そ ...
タピオカだけじゃない 平成を席巻した海外から上陸した三大スイーツを覚えていますか?|中川淳一郎
現在は第3次タピオカブームともいわれているが、平成の前半、海外からやってきたデザートの御三家といえば、「ティラミス」「ナタデココ」「パンナコッタ」だろう。ここに「カヌレ」や「ベルギーワッフル」「クイニ ...
「俺の平成史」に刻まれた名番組『ボキャブラ天国』 芸人が出て来ない初期が面白かった|中川淳一郎
爆笑問題、さま~ず、ネプチューン、BOOMER、X-GUN、U-Turn、金谷ヒデユキ、パイレーツ、アンタッチャブルといった現在のお笑い界の中堅(社会人的にはベテラン)だが、彼らは『ボキャブラ天国』( ...
「合コン」は死語 今の若者はなんと呼ぶ? 平成で一番モテていた企業の「合コン文化」とは|中川淳一郎
今や「合コン」は死語である。どうやら最近の若者は合コンをあまりしないうえに、呼び方としては「飲み会」となっているそうだ。「合コン=合同コンパ」がダサ過ぎる言葉になっているのであろう。 先日、女性向け恋 ...
覚えているだろうか「女子大生ブーム」を 私が完全に乗り遅れた原因は“西武線のせい”だ|中川淳一郎
バブル経済が最高潮になった1989年に平成の時代は開始した。若い男女がせっせと恋愛に励むトレンディドラマがブームになり、1980年代初頭から続く女子大生がテレビでチヤホヤされるなどする「女子大生ブーム ...
平成の音楽シーンを席巻した『小室ミュージック』を大学の授業で教授に聴かせてみた結果|中川淳一郎
平成初期の1990年代の曲にはいくつものミリオンセラーがあった。CHAGEandASKA、Dreams Come True、Mr. Childrenなど様々なバンドや歌手がミリオンを記録したが、その ...
今さら騒がれても遅い「中年引きこもり」 明確な差別と経済崩壊で倒れていった同志たち|中川淳一郎
40代引きこもりや「子供部屋おじさん」が昨今取沙汰されているが、ここでは平成初期の「就職氷河期」を振り返りたい。 1995年~2000年の就活はそれはそれは苛烈を極め、大卒が正社員になれる率は低かった ...
いま「避妊具自販機」って激減してる? 既に“大人になっていた”平成を振り返ってみた|中川淳一郎
前回まで「俺の昭和」というタイトルでロスジェネ世代にとっての昭和を振り返ってきたが、時代が令和になってしまった。ということは、2つも前の時代を懐古しているわけで、そりゃさすがに過去を見過ぎだろうよ、と ...
令和になって振り返る昭和の女性蔑視 多くの人が「女の腐ったの」と口にしていた時代|中川淳一郎
昭和を振り返る当連載だが、ちょっとちょっと! 令和に入り、昭和って2代前の時代になっちまったじゃねーかよ! しかし、とりあえずはしぶとく昭和を振り返る(平成振り返った方がいいんんか?)が、今回のテーマ ...
これはさすがにヤバい? もう令和だけど『昭和』の死語「マブい」「ターボ」「~マン」を使う人|中川淳一郎
今でも売られている「TURBO」エンブレム(画像はAmazonから) 「使うと年寄り認定される『昭和言葉』ランキング」が4月上旬、ツイッターで話題となった。これは、元々gooランキングに掲載されたもの ...
“半ドン”が私たちにもたらしたものとは 『令和』になった今、改めて『昭和』を考える|中川淳一郎
もはや死語となった昭和の言葉に「半ドン」がある。要するに、土曜日の午前中も会社に行ったり、学校に行くことだ。厳密には平成の時代にも半ドンはあった。多くの会社は昭和末期に半ドンをやめたものの、学校は異な ...
“買えるアイス”に「格差」を感じた昭和の子供たちは大人になっても“買える席”で悩んでいる|中川淳一郎
昭和の時代は、友人同士で駄菓子屋に行った時に購入するアイスでその家の「格」がバレたものだった。それを端的に表すのが『ドラえもん』の「世の中うそだらけ」(1975年)という回で、こんなストーリーだ。 の ...
昭和の漫画から生まれたネット用語 「ギギキ」「くやしいのう」「げえっ関羽」が味わい深い|中川淳一郎
『はだしのゲン』中沢啓治著より 2013年、市民からの要望を受け、島根県松江市の学校図書館で漫画『はだしのゲン』(中澤啓治・著)の閲覧制限がかけられ、全国的な話題となった。市民が主張したことは、「間違 ...
教育が変わったのか人間が変わったのか 昭和にいた「こんな変な先生たち」 |中川淳一郎
今やったら...パンパンやな 以前も奇天烈な昭和時代の小中学校の先生については書いたことがあるが、なんだかんだ言って、自分が子供時代に出会った大人でヘンだったのは先生というイメージ強いのでもう一回書い ...
一体なぜ我々は駄菓子屋にハマっていたのだろう 昭和の子どたちが夢中になった時間 |中川淳一郎
あの時代、なぜ私たちは駄菓子屋に意味もなく集まっていたのでしょうか。特に何かがあったわけではなかったと思うのですが、とにかくハマっていたことは確かです。平成生まれには理解してもらえないのでしょうか。
インスタ映えで有名ホテルのプールに行ってきたぁ? 俺たちは市営プールだったぞ!|中川淳一郎
今の時代でプールといえば有名ホテルでのインスタ映え。でも昭和の時代は暇つぶしの場所で娯楽の王者。小腹が空いたら近くの屋台で空腹を満たし、そのあとはクワガタ取り。夏の代名詞に記憶が蘇る。
極私的侍ジャパン昭和版を考えてみた 昭和最高のピッチャーは? 四番は? |中川淳一郎
「世紀のトレード」で昭和っ子が思い出すのは、落合博満選手。一人を獲るために四人を放出した大事件でした。落合が凄かった時代、あの時にもしWBCが存在していたらどうなっていたでしょうか。回顧して予想します ...
1973年生まれの私にとってクリスマスとはバブリーな恋人達のものではなかったのだ|中川淳一郎
平成を振り返る番組が量産されている今、80年代バブルの香りがする男女の恋愛クリスマス映像も嫌というほど見たかもしれません。しかし、ロスジェネ世代にとって、クリスマスとはそういうものではありませんでした ...
醤油ラーメンが懐かしい? ふざけるな! 昭和には二郎系も家系も存在しておったのだ!|中川淳一郎
本コーナーは画一的で盲目的な昭和感を批判するために生まれた連載。今回は曲解されているクソみたいなラーメンの歴史に飛び蹴りを食らわす。さあ! みんなもちゃんと思い出して! 怒れ、就職氷河期世代!
2025年の大阪万博開催決定のニュースを見ながら「昭和の改札」を思い出す|中川淳一郎
前回の大阪万博では月の石に長蛇の列ができたといいますが、次回の万博で「展示」なんてやったら大失敗するかもしれません。こんな最先端の時代に、アナログなことを思い出してしまいました。
ビデオデッキと初めて出会った昭和の終わり頃、当時の男性には夢の機械だった|中川淳一郎
昭和といえばビデオデッキです! 若い世代のみなさんはVHSとベータ戦争なんてご存知ないでしょうか。あの頃、画期的だった機械によって、男性諸君が夢中になった行為がありました。
「ゼビウス」「マッピー」「ドルアーガの塔」 …ファミコンソフトにナムコが参戦した時の喜び|中川淳一郎
ファミコンにまだ「任天堂のゲーム」しかなかった頃、少年たちは少し不満を感じていました。しかし、ナムコやハドソンがファミコンカセット販売に舵を切ってから時代は変わったのでした!
昭和の子供を熱中させた「機動戦士ガンダム」 当時の私が入手できたガンプラとは|中川淳一郎
第二次ベビーブーム世代、団塊ジュニア世代、氷河期世代(すべて同じ)......彼らが過ごした昭和を語るこのコーナーでついに出てきた「機動戦士ガンダム」。君はこの文章を読み終えることができるか..... ...
「いまのキミはピカピカに光って♪」 厳しい表現規制時代に自由だった昭和のCMを懐かしむ|中川淳一郎
クレームを付けることを生き甲斐にしている人がいるほど、昨今はいかに苦情が来ないものを作るかが重要となっている。こんな息苦しい時代に、自由だった昭和の名作CMに思いを馳せてみた。
「ダブルパンツ」とは何だ!? 昭和の男の子たちは”こんな事”に興味を示していた!|中川淳一郎
第二次ベビーブーム世代が小学生だった時、クラスメイトの「成長」が気になっていたものです。特に身体に起こる変化には子供たちは敏感に反応し......あのような騒ぎが発生したと思うです。
昭和の少年たちに影響を与えた「少年ジャンプ」広告がなければドラクエはヒットしてなかった!?|中川淳一郎
80年代、少年ジャンプ編集部は少年たちに圧倒的な影響力を誇示していた。今となっては「ご法度」扱いのステマ広告でさえ、子供たちは有難がり穴が開くまで熟読していたのである!
休まない事はよいこと? 昭和にあった「健康優良児」という概念|中川淳一郎
昭和には不思議というか不可解な風習がたくさんありました。特に、戦争の影を色濃く残した教育は顕著で、あの頃全員の心の中にあった「学校は休んではいけない」は今考えると、とても怖いのです。
昭和の子供たちが親からもっとも大きな嘘をつかれていたもの「口裂け女」|中川淳一郎
携帯電話が生まれる前夜、日本の親たちは多くの嘘を子どもたちについていた。その中のひとつに「口裂け女」が象徴としてあるのだが、今の子どもたちはきっと見向きもしないだろう。
『週刊少年ジャンプ』創刊50周年で思う「俺はなぜジャンプから離れていったのか」|中川淳一郎
ジャンプを最も熱狂して読み、愛していた団塊ジュニア世代でいまだに毎週ジャンプを買っている人はきっと少ないだろう。なぜ、我々はジャンプから心が離れていったのか。昭和48年生まれの筆者が振り返る。
田原俊彦、松田聖子、中森明菜、近藤真彦…昭和のスターは会いに行けないアイドルだった|中川淳一郎
40代以上には「あこがれる人」や「尊敬する人」はうんこをしないという幻想を持っている。それは彼らが「会えない人」だったからで、それゆえファンタジーだけで幸せになれた時代だったのだ。
1980年代に子どもだった私にとってコンビニは「贅沢品が買える」特別な場所だった|中川淳一郎
セブンイレブンはなぜ「セブンイレブンと言うのか?」を知らない世代も多い時代になった。あの頃、コンビニは「コンビニ」ではなく「高級品を扱う」存在だった。改めて振り返ってみよう。
味があった昭和のプロレス! 長州力のやられ役・ハル薗田を知っているか|中川淳一郎
コアなファンばかりが盛り上がる現在とは違い、ゴールデンタイムでプロレスが放映されていた時代はみんなの「娯楽」だった。そんな昭和のプロレスに今想いを馳せる連載第二十回目。
いつから花型競技に? 昭和の部活・卓球は「暗いスポーツ」だった|中川淳一郎
ある世代から上の人たちの卓球部に対するイメージはさほど変わらないように思います。体育館の隅っこでやる暗いスポーツ......。それが今や花型競技。あの頃のジメジメさはどこ行った!?
1986年の自殺 岡田有希子と鹿川裕史君から学んだこと|中川淳一郎
1986年代にはあるトップアイドルの自殺が多くの若者に衝撃を与えました。岡田有希子さんです。後追いとみられる人も出てきてしまいました。そして、イジメ自殺の鹿川祐史君の「このままでは生きジゴクになっちゃ ...
スペースインベーダー誕生40周年 ゲームセンターが「不良のたまり場」だった時代|中川淳一郎
あの頃のゲームセンターはなぜか薄暗く、不良たちが吸う煙草の煙で視界が悪かった......。子どもたちが「先輩」と接点を持つ重要な意味を持つ場所だったのです。
昭和末期「子供は風の子」という恐怖のスローガンが小学生たちを苦しめた|中川淳一郎
昭和の終わり頃、小学生たちが盛んに洗脳された「子供は風の子」というフレーズ。これ現代だったら「虐待だろ!」という点に中川淳一郎さんが鋭いメスを入れます。
1985年の阪神タイガースを振り返ってみると凄まじい数字が浮き彫りに|中川淳一郎
まもなくプロ野球シーズンが開幕。大好きだけれども、随分と日本一から遠ざかっている阪神タイガースの「あの年」について語ります。
教師「自分が在日朝鮮人でないことを説明しなさい」 昭和の在日差別の実態|中川淳一郎
現在に比べて、昭和時代の差別は露骨でした。これは著者が少年時代に体験した差別へと繋がる根幹だったのではないかという回顧録。今では考えられない出来事です。